日常さかじょう (更新は不定期)
目標:仕事以外のことを中心に書く
2026年分 NO.166〜
178、8月某日 肉が焼けるまでの世界 盆休みに、年上の友人Aの還暦祝いをした。もう1人の友人Bも誘い、天王寺で焼肉。学生時代に同じゼミだったつながりで、友人Aは、年末恒例の回転寿司の友人だ。友人Bとは、およそ6年ぶりの再会。 久しぶりの焼肉に、テンションが上がる。しかし、じつは私は焼肉が苦手だ。食べるのは好きなのだが、焼くのが難しい。炎が怖くて、慌ててトングで肉の下の網までひっくり返してしまう。見かねた友人Bが、3人分を焼いて取り分けてくれた。 その様子を眺めているうちに、38年ほど前の出来事を思い出した。初めてのゼミで、ポットで湯を沸かし、菓子を食べながら自己紹介をする、という。私は勇んでポットを手に取り、廊下を駆け抜けて水を入れに行った。教授の研究室で、ゼミ生が皆で茶を飲む。とても新鮮で、大人になったような気がしたのだ。 自己紹介が始まると、やがて湯が沸いてきた。なぜか、いきなりポットから熱湯があふれ出す。こぼれてるぞ、と教授がつぶやく。ポットが壊れていたのか、もしかして私が壊したのか。半ばパニックになって立ち尽くす私に、入れすぎや、と誰かが笑って言った。 それが友人Bとの出会いだった。彼はこぼれた湯を拭き取り、滑らかな動きで後始末を始めた。数名がそれを手伝っている。しかし、事態を引き起こした張本人の私は、驚きのあまり動けない。後でちゃんとお礼を言ったのか、謝ったのか、それすら覚えていない。 ただ、その時に私は、彼らとは違うタイプの人生を自分は歩むことになるだろう、と感じた。集団になじめない私。不器用で、失敗をうまく処理できない私。一方で、他者の引き起こした事態を、無駄のない動作で収拾に向けて動き出す彼ら。その姿は、別の世界の一コマを見ているようで、まぶしかった。私にはたどり着けない場所だった。 その後、いろいろあって私は大学を1年、留年した。初めてのゼミでの出来事が、すでに私の道をある程度、決めていたのかもしれない。 肉が焼けるまで、私は38年前の世界をさまよっていた。 177、8月某日 盆休み最後の日に 盆休みが今日で終わる。9日間のうち、何も予定がなかったのは1日だけ、仕事が少し入っていたのが2日。珍しく、いろんな方と会えて楽しい休みだった。仏壇掃除や墓参りも滞りなく済ませて、横着者の私にしては、頑張って過ごせたと思う。たぶん、意外に涼しかったからだろう。 一方で豪雨の災害が発生した地域もあり、年々、予測と対策が難しい天災が増えている。 明日からの仕事の準備は、最低限は済ませることができた。もっと万全にやっておいたほうが安心なのだが、休みモードの脳みそには難しい。そのかわり、長期休暇ならではの自由な発想がいくつか浮かんだ。もちろん、その大半は何の役にも立たない。 アイデアの一つに、レアアースについて学ぶ、というものがある。盆休みの最初の頃に思いついた。そして、図書館でレアアース関連の本を2冊借りたのだが、それが昨日、つまり盆休み8日目である。これでは、読む前に盆休みが終わってしまう。 最終日の本日は、神戸で用事がある。高校野球が開催中の甲子園球場の最寄り駅を通るので、電車がすごく混んでいるのではないか、と覚悟していた。しかし、神戸三宮行きの快速急行は空席だらけで、座ってこの拙文を入力している。 よく考えてみると、出場校の応援団が、必勝のはちまきを巻いて横断幕を両手に抱え、団体で電車に乗るなんて、あまり現実的ではない。学校側が用意したバスで行くのだろう。 盆休みに得た発想に基づいて、何か形にしてみたい。せめてレアアースの本は読もう。 今年もあと4ヶ月半。取り組むべきことをいくつかあげて、それなりに日程を調整できた良い休暇である。 176、7月某日 暑さに負けずに 連日の猛暑にノックアウト寸前まで追い込まれていた。いただきものの上等なレトルトカレーを連続で食べて、気合いを入れ直す。ありがたいことに、少し元気が出た休日、八尾市内の図書館にはない本を、東大阪市の大蓮図書館まで借りに出かけた。初めて訪れる場所。専門書(新書だが)で、蔵書検索によると東大阪でも大蓮図書館にしか置いていないらしい。 炎天下を、駅から25分ほど歩く。しかし、図書館が見当たらない。絶対にこの辺にあるはず、と何度もスマホを調べる。頭には、日よけのタオルを巻いている。格好よりも、安全が大事だ。何度か行き来して、元の道を戻る。すると、開館中の立札が見えた。ようやく、プレハブの小さな図書館を発見。通ったはずの道だったが、私の予想とはまったく違う建物だったので、素通りしたのだろう。 今回は、図書カードを作ってもらった。八尾市民でも作れることを、初めて知った。これで目当ての本を借りられる、と喜び、開架へ。下調べでは、そこにあるはずだったが、見当たらない。どうしよう、とうろたえながら蔵書を再検索。よく見ると、書庫にあることが分かった。アウェイの感じがして、少し遠慮がちに書庫の本を借りたい、と伝える。無事に見つかり、一冊のきれいな本が私のカバンに収まった。おそらく、ほとんど誰も借りないまま、書庫に移されてしまったのだろう。 炎天下を、一冊の本を求めて往復1時間ぐらい歩くという行為で、不思議にも私は元気を取り戻した。帰宅後も、なぜか疲れはない。汗をかいて、程よく水分を摂取したからだろうか。 帰路、途中で先輩宅の近くを通った。お元気かな、と思っていたら、その夜、久しぶりにその先輩から連絡をいただいた。 また、同じ夜、うっかり友人のLINEを開けたままでシャワーを浴び、戻ってきたらその友人から電話がかかっていた。 猛暑に負けなかった、不思議な一日である。 175、7月某日 いただきもの ラーメン屋さんで作っているラーメンを、自宅で食べるという初めての経験をした。いただきもので、あまりのおいしさに思わず笑みがこぼれた。ふだん食べる即席ラーメンとは、レベルが違う。チャーシューと煮卵付き、しかも作り方を書いた紙も添えてくださり、ありがたかった。 同じ日に、先輩から「パイプ式の洋服掛けは要らないか」という連絡をいただいた。ちょうど押入れ入口のレールにハンガーで掛けていた上着類が、雨漏りで移動して、行き場を失っている。補修工事は、まだまだこれから。渡りに船、と喜んだ。 先輩は車で持ってきてくださった。組み立てて、あまりの立派さに驚く。高さ180センチ、幅150センチぐらい。予想の倍以上の大きさだ。置き場が見当たらず、和室のほうを整理して何とかスペースを作る。おそらく、私の持っているすべての衣類を吊るせるだろう。しかも、和室がかなり片付いた。今後、私は朝の目覚めとともに、そびえ立つ洋服掛けを眺めることになる。 それにしても、人に何かを差し上げるときに、私はあまり真心を尽くせていなかったような気がする。今回の出来事で、いただいた親切に学び、忘れないようにしたい。また、親切にするよりも人に親切にしていただくほうが多い人生なので、そのあたりを根本的に変えねばならないだろう。 174、6月末日 3度目の雨漏り② 個人的には、珍しく動きのある6月だった。歯医者通いに始まり、自転車の後輪破損、コーラス開始、小説の書き方を解説した本との出会い、そして月末の雨漏り。 雨漏りに関する交渉はうまく進み、今回はそれなりに納得のいく結果となった。前回の雨漏りの際、物件の管理会社に家賃減額を求めて粘り強く交渉したので、私は要注意人物としてマークされている可能性がある。 そこで、今回は作戦を変えて、家賃減額の交渉を匂わせつつ、実を得る補償メインで臨んだ。家賃減額にこだわっても成果はなさそうだし、下手をすると関係を損ねて引っ越すことになりかねない。 なぜ雨漏りしない部屋と同じ家賃なのか、という疑問は残るが、仕方ない。3度の雨漏りを通して、私も少し成長したような気がする。いくらかの補償があれば、それは実質、数ヶ月分の家賃減額と変わらない。名目が違うだけの話である。 3回目の雨漏りということで、管理会社のほうが配慮してくれて、予想以上に好ましい条件を提示された。迷わず、示談に応じる。腹芸が苦手で交渉のスキルに乏しく、たいていはうまくいかない私にとっては、稀有で不思議な成功体験である。 修復工事は7月からで、それまでに大雨が降ると、押し入れの入口で雨漏りになるだろう。工事会社の方が吸水パッドをたくさん持ってきてくれたので、しばらくそれでしのぐしかない。先日敷いたパッドは持ち上げると重いくらい、雨漏りの水を含んでいた。昔、飼犬が大量に小便をした時のことを思い出した。 工事のたびに在宅せねばならず、面倒だな、と沈んだ気持ちで散歩に出かけた。直してもらえるのはありがたいが、それまで押し入れが使えない。とぼとぼと歩いていると、散歩中の小型犬が向こうからやってきた。私に近づいてきたので、なでると手を舐められた。なぜか、私は散歩中の犬に懐かれることが多い。たいていは機嫌の悪そうな顔で歩いているのに、謎である。 「元気もらったね。よかったね」と、飼主の女性は笑顔で言った。その犬も、何らかの理由で落ち込んでいたのかもしれない。私のほうこそ、元気をもらいました。ありがとうございます。そう伝えるべきかもしれなかったが、少し恥ずかしくなってやめた。他人から見ると、私は不機嫌そうな顔つきで、元気いっぱいに歩いているように見えるのかもしれない。 173、6月某日 2回目講座と3度目雨漏り 台風が近づいていて大雨が心配だった日、警報発令には至らず、コーラス講座の2回目が行われた。開始30分前に行き、アルトチームの早練にも参加した。難しいが、なかなか楽しい。学生時代に、コーラスをやっておけばよかった、と後悔しているが、当時の私はあまり協調性がなかったので、きっとすぐに退部していただろう。 無事に終わったあと、ズボンが緩くなっていた。腹筋を使ったからだろう。コーラスは腹囲のダイエットにも効くのかもしれない。だが、お腹が空いて、いつもよりたくさん昼食を食べてしまった。出先のイートインで、唐揚げ弁当とクロワッサンにコーヒー。変な組み合わせだ。 その後、仕事を終えて夜に帰宅。布団を出そうとして、マジか、とつぶやく。押入れの下側のレールと畳が濡れていた。2年9ヶ月ぶり、3度目の雨漏りである。滴の垂れる様子を動画に撮影して、バケツで受ける。過去2回は写真を撮ったが、今回は動画。進歩のあとがうかがえるが、喜んでいる場合ではない。 書面を作っているうちに、深夜になった。こんな時でも、私は文章を書くのが好きだ。管理会社に状況と要望を伝えるために、何度も推敲をする。書いているうちに、少しずつ怒りが収まっていく。すると、本当に伝えたいことを文章でまとめることができる。 翌朝、写真撮影した書面と雨漏り動画をスマホ内に携えて管理事務所へ。3度目の雨漏りの発生と私の連絡先を伝えた。それから4時間が過ぎた現在、まだ連絡はない。押入れ入り口のバケツに、30秒〜1分ぐらいの間隔で雨漏りの滴が落ちている。今夜もそれを聞きながら、眠れない夜になるのだろうか。 172、6月某日 初めての習い事 習い事(コーラス)の初回が終わった。受講者30名のうち、男性は私だけ、といきなり受付で告げられる。こんなはずではなかった、と立ち尽くす私に、講師は優しく言った。「やめないでくださいね」。 思っていたより本格的で、ソプラノとアルトの二部合唱。アルトに行かはったらよろしいわ、と隣の方が親切にも教えてくれた。確かに、私がソプラノに入ったら、コーラスはぶち壊しだ。 集団指導の塾講師をしていたので、声を出すのは慣れている。しかし、音程がうまくいかない。楽譜もあまりよめず、どこを歌っているのか分からなくなる。練習するしかない。アルトチームは30分ほど早めに来て自主練習をしてもいい、とのこと。行くしかない。男性が私しかいない状況でミスをしたら、犯人がすぐに分かってしまうのだから。 来年3月には、発表会まである。こんなはずではなかった、と再び思ったが、コーラスはなかなか楽しい。休まず、やめず、なんとか頑張ろう。 171、6月某日 ろくでもなく楽しい6月 あわてていて、2つ失敗をした。まず、コンビニでコピーをして、出来上がった複写を、すべて置いたまま帰ったこと。帰宅後に取り出そうとしたら、ない。まさかの置き忘れ。何のためにコピーに行ったのか分からない。コンビニに電話して、すぐに取りに行きます、と伝える。もちろん、初めてのことだ。 同じ頃、寝起きで愛車のチャーリー6号に乗り、タイヤを縁石に強くこすってしまった。転ばずに済んだが、その数日後、図書館に行った帰りに後輪に違和感。パンクかな、と思ってタイヤをチェックすると、見事に裂けていた。縁石でこすった箇所だろう。中古車だったので、タイヤは古い。もう少し慎重に乗るべきだった。後輪を交換するまで、自転車には乗れない。購入からわずか8カ月で、早くもタイヤ交換。悔しい最短記録である。 痛みに耐えかねて歯医者通いから始まった6月。今のところ、ろくでもない日々でいろいろ失敗しているが、あわてずに一つ一つの物事に集中して楽しみたい。 楽しみの一つである「好きな本を読む会」は『すべて真夜中の恋人たち』(川上未映子)。参加者があらかじめ課題の本を読んでおいて、感想を伝え合う。6月でまだ3回目の参加だが、真面目な中にユーモアがあって、おもしろい集まりである。1月と8月を除く、毎月第1木曜日の開催。もう何年も続いているようで、私以外は常連の方々ばかりだ。 木曜日を習い事(?)の日に決めて、6月からは第2、第4木曜日に安価なコミセン講座の「初級コーラス」が始まる。学生時代からやってみたかった合唱にも、チャレンジ。全16回をなるべく休まずに参加したい。大声で調子を外し、周囲や先生に迷惑をかけなければいいのだが。 やらずに悔やむより、やりたいことはやってみる。ようやく今年の目標が決まった。 170、5月某日 必要に迫られて 必要に迫られて、大学のレポートの書き方について説明している本を7冊、図書館で借りた。一つめの図書館で5冊、二つめで2冊。しかし、慣れない本を探しつつ読んでいたためか、かなり疲れた。二つめの図書館で、きちんと貸出の手続きをしたかどうか、分からないまま帰宅した。 後日、その2冊をカバンに入れて図書館に行くと、出口で音が鳴り、係員がやってきた。やはり、手続きをしないまま、本を持ち出していたようだ。初めての経験である。 レポート対策の本は、それぞれに特徴があり、読み物としてもなかなかおもしろい。学生時代に読んでいれば、もう少しマシなものを書けたかもしれない。 内容はともかく、私はレポートを書くのが苦にならなかった。その理由が、今回の読書でようやく分かった。私は、疑問を作るのが好きだったのだ。謎の発見、と言ってもいい。講義で教わったことの中から、気になったことを自分で調べて、いろいろ考え、日記に書く。そうした学生時代の日記帳は、ノート10数冊に及んだ。日々の積み重ねが、レポートに役立ったのだろう。思えば、私がまじめにコツコツやってきたのは、塾の仕事と読書と文章を書くことぐらいである。 文章のほうは、昨年10月末に作品を仕上げて以来、ほとんど何も書いていなかった。しかし先日、ようやく15枚ぐらいの短編が完成した。中途半端な枚数で、どこにも出せそうにない。私自身は気に入っている作品だが、続きを書くか練り直すか、工夫が必要である。 必要に迫られて、やらねばならない物事が多いが、日々のさまざまな発見を楽しみたい。 169、4月某日 図書館で無料講座 新しいことを体験したい、と思い立ち、3月には「大人のおはなし会」、今月は「好きな本を読む会」という集まりに行ってみた。いずれも60代、70代ぐらいの方が大半で、私は若手になるようだ。 平日の午前中だったので、そうなったのかもしれない。無料であるのが不思議なほど、楽しく学べる集まりだった。私が知らなかっただけで、図書館では大人向けのイベントもしばしば開催されている。「大人のおはなし会」という朗読会は不定期のようだが、「好きな本を読む会」は月に一度ある。あらかじめ指定された本を読んでおいて、自由に感想を述べるという集まりである。 4月は『伊勢物語』の高安に関連したところだった。研究者が作成したようなすごい資料をいただき、驚いた。5月は、サリンジャーの『キャッチャー・イン・ザ・ライ』(村上春樹訳)。私は、それが『ライ麦畑でつかまえて』の原題であることを知らず、しかも『ライ』を『フライ』と間違えていて、野球の話かな、と思っていた。なんとか読み終え、感想をまとめることができたので、5月も参加しようと思う。 「好きな本を読む会」では、来年の3月まで読む本が決まっている。私の未読の本ばかりだが、自分では選ばない、読むことのない本を、こうした機会に読んで感想を話し合うのも楽しいだろう。 168、3月某日 墓参りに出かける歌 午前中にお彼岸の墓参りに行こうと思っていたが、寝坊。起きたのは11時だった。しまった、と慌てて布団を蹴り上げたときに、左足のふくらはぎがつった。一度つると、なかなか痛みがとれない。仕方ない、今日はおとなしく過ごそう、と墓参りを断念。 15時ごろ、少しマシになり、やっぱり墓参りに行くことにした。自転車だと、往復で1時間半もかからない。だが、険しい上り坂はふくらはぎの大敵だ。自転車に乗っているときに足がつると危ない。転倒して、ケガをするかもしれない。 そこで、久しぶりに歩いて行くことにした。往復で2時間あれば大丈夫。明るいうちに戻れるだろう。 胸の中で、墓参りに行くときの私のテーマソングが鳴り始める。ドリカムの「うれしはずかし朝帰り」。いつものように「朝帰り」の部分を「墓参り」に変えて出発。 うれしはずかし朝帰り ママに会うまで考えなくっちゃ うれしはずかし朝帰り うまい言い訳 この歌詞のように、私も考える。両親や祖父母、先祖に会うまでに、相変わらず独りでのんきにぶらぶらしている私の言い訳を。そのうちに、だんだん墓が近づいてくる。 うれしはずかし朝帰り 鼓動が激しい 急な上り坂が、最後の難所だ。墓に着くころには、やはり鼓動(動悸と息切れ)が激しい。 苦労した甲斐があって、今回は一番乗り。まだ妹も弟も、来ていないようで花がなかった。千円で買えるかな、と再びドキドキしながら、簡単に墓の掃除を済ませて花を買いに行く。年に5回の、うれしはずかし墓参りである。 167、 2月某日 キット勘違い 今年も受験シーズン到来。恒例のキットカットを買いに行く。カカオ豆の不作、値上がりの影響だろう。キットカットが400円台に突入している。買わずに、ギリギリまで様子を見ることにした。 10日ほど経過して、税込で260円ほどのキットカット(9個入り)を見つけた。さすがは私。先見の明がある、と喜び勇んで即座に買う。帰宅後によく見ると「部活応援」バージョンである。しまった、と悔やんだが手遅れ。仕方なく、使えそうな物、無理そうな物に分ける。 ○キット目標達成だ ✖️キットみんなで優勝だ 9個を無事に分け終えて、使えそうな物が6、無理な物が3。値段からすると、まあお買い得か。ほっとして、ふと、メッセージが書いてある袋の下部を見る。するとそこには、思いきり「部活応援」と書いてあった。 これでは入試に使えない。すぐに買いなおす。結局、高くついてしまった。そもそも、この時期にややこしいキットカットを売らないでほしい、とやつあたりしても始まらない。よく見なかった私が悪いのだ。 もしかすると、バイヤーもうっかり間違えて買ったのかもしれない。「今、こんなの買ってどうするんだ」と、上司に叱られるバイヤー。仕方なく値引きして、お買い得の入試用と勘違いする客を待つ。そしてやがて、私が登場する。 こうなったら、仕方ない。1日に1つか2つずつ「部活応援」キットカットを私が食べて、合格を祈ることにした。 166、2026年1月 回る年末年始 明けましておめでとうございます。旧年中はたいへんお世話になり、ありがとうございました。本年もよろしくお願い申し上げます。 大晦日には、学生時代の友人と恒例の回転寿司。京都から、わざわざ鶴橋まで出てきてくれた。年に一度、この時だけおちょこ一杯の熱燗を飲む。少し疲れていたためか酒が回り、首まで赤くなった。 難波に出て、なんばウォークの喫茶店でゆっくり話す。少し高級感のある店で、コーヒーが一杯600円。すっきりした味わいで、最近飲んだコーヒーの中では抜群においしかった。しかも、ソファーがふかふかで心地よい。そのうえ、おかわりが一杯だけ無料。和やかな雰囲気で会話が楽しめる、よい店だと思った。1人でも入れそうなので、また行きたいものだ。 元日はやはり恒例の、大阪市内のお寺への初詣。清々しい気持ちになる。日々の生活の中で、もう少し他人に優しく接するべきではないか、と反省した。2日は、何かとお世話になっている先輩講師と回転寿司へ。前回は、この回転寿司をたくさん食べた後にマクドへ行き、セットメニューを食べる、という年齢と胃袋無視の無茶をした。そのため、私は明け方まで胃が痛くて眠れなかった。 先輩も同様に胃の調子を崩したようだ。今回は失敗から学び、2人とも4皿にとどめて、マクドのセットも食べる準備をした。しかし、油っこいポテトがいけないのか、帰宅後に少し胃が痛くなった。おいしいので、ついセットメニューを頼んでしまう。それでも、楽しく過ごせたので、よしとしよう。 本日は初仕事。中学入試が間近で、いろいろやることがある。新年早々、無事に講師としての一年が終わるよう、願わずにはいられない。 個人的には入試が近づく年末年始よりも、ゴールデンウィークのほうが気楽に過ごせる。盆休みは、ただひたすら暑く、その暑さに負けずに過ごそうとして、やたらとエネルギーを浪費してしまう。 いずれにせよ、健康で過ごせるのはありがたい。今年も目標を立てて、よい一年になるように頑張ろう。
日常のジョー2025年まで
2025年分 抜粋 165、11月某日 ガス点検で発見 4年に一度のガス点検で、業者が来た。ベランダの機器をチェックするらしい。そういえば、と前回のことを思い出す。鳩のひなを2羽、見つけたのだ。その話をした後、ベランダに出た業者が言った。「あっ、いますよ」。 歴史は見事に繰り返し、1羽のひなが、見つかりにくそうな場所で震えていた。最近、鳩の出入りが多かった原因がわかった。交代で、子守りをしているのだろう。 管理事務所に相談したらどうですか、とアドバイスをもらったが、ベランダ掃除が面倒なこと以外、特に被害はない。まあいいか、と受け流す。何だか自分が、ベランダの鳩たちの管理人のように思えてきた。 はたして、鳩と私の相性は、いいのだろうか。7年ほど前、塾の仕事が見つからなかった時期に学童指導員のアルバイトをしていた。かなり弱っている鳩がいて、子どもたちと一緒に少し眺めていた。 その後、上役の指導員が笑いながら、私のところにやってきた。私の自転車のハンドルに、鳩がとまっている、と言う。急いで見に行くと、弱った鳩が、じっとしがみつくように私のチャーリー5号のハンドルを占拠している。 仕方なく放置して、教室に戻った。しばらくすると、先ほどの上役が、たいへん、たいへん、と叫びながら私のところにやって来た。また慌てて見に行くと、廊下にある下駄箱の私の靴の上に、弱った鳩が居座っていた。鳩と靴箱の上板との隙間は、ほとんどない。うまく入り込んだものである。どうすることもできず、仕方なくそのままにしておく。 交代で見物に来た子どもたちも、驚いている。上役は「弱っているから、そっとしておいてあげてね」と皆に優しく注意をした。一番弱っているのは、靴を占拠された私なのだが。私もしばらくの間、喧騒とカオスの世界から隔離されて、そっとしておいてほしいものだ、と思った。 次に廊下に出た時には、鳩はどこかに消えていた。私の靴に、フンが一つ残されていた。 ガス点検は、珍しく「問題あり」。ごく微量のガス漏れが検知されたようで、配管を一部、取り替えることになった。しばらくして、別の業者がやって来た。やはりベランダに出るらしい。ひながいます、と伝えた。ベランダでの点検を終え、部屋に戻った業者は一言。 「卵もありましたよ」。こうして、ベランダの鳩たちは、独居老人に向かって爆進中の私をよそに、たくましく繁殖していくのであった。 163、10月某日 宝の持ち腐れ 中古で買った新車(?)のチャーリー6号。塗装がはげて、見た目はあまり良くない。しかし、安定感と漕ぎ心地は抜群だ。サドルのクッションがあまり効かないのは辛いが、辛抱できる範囲だ。車種は「touch(タッチ)」。あれ、おかしいな。自転車のイメージと一致しないぞ。 そんなふうに思っていたある日、ハンドルの下に貼られたシールをよく見ると、英単語を読み間違えていたことが分かった。「touch」ではなく「tough(タフ)」だ。なるほど、これならイメージ通りである。サドルのクッションが効かなくても、納得できる。頑張って乗りこなし、toughな男になるしかない。 ペダルを漕ぐ力が、あまり無駄なく車体に伝わっているようだ。変速機も付いているが、私はいじらないようにしている。子どもの頃に流行したサイクリング車で、変速機が壊れてしまう実例を、何度か見た。壊れて動かなくなったらどうしよう、と思うと、怖くて触れない。 もっとも、私はスマートなサイクリング車が苦手で、ママチャリにしか乗らなかったが。○○君、3段変速のサイクリング車、買ったって。すげえ。そんな会話に聞き耳をたてながら、ふん、壊れなければいいがな、と冷めた目で見ているような、ひねくれた子どもだった。 そのひねくれを、こじらせた大人になっていなければいいのだが。我ながら、つくづくそう思う。 チャーリー6号は、5段階変速ができる。それなのに、私はまだ変速機に触れないままだ。これでは、宝の持ち腐れである。 もうすぐ誕生日なので、お祝いに変速デビューしてみようか、と考えている。安上がりのプレゼントだ。同時に、変速デビューは子どもの頃の私との訣別なのかもしれない。これを機に、他人の喜びを素直に喜ぶことができる人間になろう。 159、8月某日 休みボケでピンチ 盆休み、とはいえ少しだけ仕事が入っている日も多い。それでも、しっかり休みボケになってしまった。 ケース① 休み4日目の朝。用事があるのに、寝坊して急いで準備。とりあえず落ち着こう、と冷蔵庫から水を取り出したつもりが、ペットボトルのペプシ。あわてて、落としてしまった。まあ、ペプシでもいいか。すぐに開栓して飲もうとすると、泡があふれてきた。 もったいない、と口をつけようとしたが、何かに呼ばれたような気がして、思い止まる。大正解だった。周囲にペプシが勢いよく飛び散り、残されたのは4分の1ぐらい。自分史上最悪の、悲惨な炭酸飛散事件である。もし、口をつけていたら、食道が損傷する危険があったかもしれない。 ペプシはあちこちに飛散し、冷蔵庫の中まで溜まっていた。急いでいるのに、えらい目にあったが、食道が無事でよかった。 お盆の朝、思いがけずご先祖様に助けられたのかもしれない。墓参りに行ってよかった。 ケース② 休み最終日の朝。カバンを持って、愛車のチャーリー5号で買い物へ。10分ほど店内で過ごし、レジへ。会計時に、財布がないことに気づいた。財布どころか、私は何も持っていない。おかしいぞ、と思いながら、財布を忘れてすみません、と伝える。10分ほどで戻ってきます、と言うと、サービスカウンターに預けておきます、とのこと。 急いで駐輪場に向かう。チャーリー5号は、何事もなかったかのように、前かごに私のカバンを乗せたまま、待っていた。財布はカバンの中に入っている。あまり人のいない駐輪場に、10分もカバンを置き忘れていたのに、無事でよかった。カバンを置き忘れたどころか、私はカバンを持ってきていたことを忘れていたのだ。完全な休みボケである。 レジに戻り、会計を済ませた。レジの女性も、カバンが無事だったことを喜んでくれた。 特に何か楽しいことやいいことがあった盆休みではない。しかし、少なくとも2度のピンチを無事に脱したことに、感謝すべきだろう。 日々、平穏無事に過ごせるのは、決して当たり前ではないのだ、と改めて胸に刻んでおきたい。 155、6月某日 本を作る 小説を書いている、という話を何かのついでにした。学校の読書の時間に読みたい、と何度も言う生徒が現れ、少し迷ったが、とりあえずコンビニでプリントアウトした。そして、せっかくなので本にしてみた。 無地で、ページをほぼ全開にできる便利なノートをロフトで見つけて、和紙製のシール、折り紙とともに購入。そのノートに、プリントアウトした原稿を貼り付けていく。シール、折り紙を表紙に使う。 作品の内容はともかく、表紙はきれいに仕上がった。費用は1500円ぐらい。これで、学校に持っていっても大丈夫だろう。ちょっと手の込んだお弁当を作ったような感じだ。 拙作「おきばりやす」は、たぶん中高生向けの作品だろう。楽しんでもらえればいいのだが。1年以上かかって75枚に成長した作品は、本にすると46ページにしかならなかった。購入したノートの残りのページは、白紙のままである。 152、4月某日 海外の警察小説 コロナ禍に、図書館で誰もいないコーナーを探し求めるうちに、行き着いたのが海外の文庫。私はクリスティーのポワロシリーズに出会った。それが3年ほど前のこと。 以来、さまざまな海外ミステリーを読んできた。名探偵ものから始まって、現在はドイツの警察小説にはまっている。 名探偵が活躍する推理小説と、組織の中で生き、しばしば組織の論理と自らの正義との間で板ばさみになる警察小説とは、かなり趣きが異なる。日本の小説だけでなく、海外でもやはりそうであることが分かった。 名探偵ものから入って、警察小説に夢中になる。どうやらそれが、私の傾向らしい。コロナ禍前の私は、あまり海外の小説を読んだことがなかったので、こうした変化に驚いている。 海外の小説が苦手だったのは、登場人物の名前を覚えられないからだった。誰か誰なのか、よく分からなくなる。自分が把握できないことに苛立ち、読書を楽しむどころではない。 しかし、ようやく分かったのは、別に無理に登場人物の名を覚える必要はなくて、読み進めるうちに必要な情報はちゃんと区別できる、ということだ。若いうちは、自分の知らない世界に憧れる一方で、自分の把握できない物事に不安や苛立ちを感じることが多い。 別に把握する必要はない。一歩ずつ慎重かつ大胆に前へ進めば、何とかなる。年を重ねて、私もようやく、そのあたりの機微が少し分かってきたのかもしれない。海外小説が読めるようになったことを、素直に喜びたい。 他にも、海外の警察小説はいくつかのことを教えてくれる。一匹狼を気取っていても、協力してくれる人々がいなければ何もできない。自らの正義を貫いて生きることは大切だが、その正義ははたして本当に正しいのか、チェックが必要だ。圧倒的な個の能力に乏しいのなら、互いを尊重しつつチームワークで乗り切るのが良い。自らの力だけを信じて、いたずらに他者と対立するのは愚策である。などなど。 もちろん、日本の警察小説からもそうしたことは教わるのだが、作者と読者が同じ文化の枠組みの中にあるためか、雰囲気として何となくそうかな、というマイルドな形になるのだろう。一方で、どうしても日本文化の重要な美学である「滅私」という価値観の束縛から逃れられない。 海外の警察小説は、個と組織の葛藤、という日本国内での深刻なテーマが希薄な感じがして、束縛から比較的自由である。そんな葛藤など、ユーモアで乗り切ればいい。そう言われているような気がする。 151、3月某日 手間をかける 昔からハンバーグは好きなのだが、冷凍で10分以上お湯に入れて加熱するタイプは食べたことがなかった。待つのが面倒だし、カセットコンロのガスボンベが減ってしまう。だから、たいていは8個300円程度の、レンジで2、3分でOKの冷凍ものを買っている。 先日、たまには少しいいハンバーグを食べてみよう、と冷凍で1つ250円程度の品を買ってみた。帰宅後、レンジで何分かな、と確認したところ、どうやらレンジではなく、お湯で温めるタイプらしい。しかも17分。しくじった、と後悔した。 それからしばらくして、冷蔵庫内の食品がほとんどなくなったある日。冷凍庫をあさってみたところ、上記のハンバーグを見つけた。買い物に行く手間と、17分温める手間とを比べて、私は後者を選んだ。 たいそうに17分も温めたところで、レンジタイプの品と大差はないだろう。値段のぶん、いくらかおいしいかもしれないが。そんなさめた気持ちで温めること10分。袋内には空気がいっぱいで、姿の見えないハンバーグが、お湯の中でぷかぷか浮かんでいるにちがいない。こんな状態で、きちんと温められるのだろうか。何かおかしい。 袋を取り上げて調べてみた。どうやら外袋から取り出して温めねばならないようだ。慌てて袋を開けると、中には真空パックのハンバーグが入っていた。お湯に入れると、問題なく沈んでいく。これは、17分では無理だろうな、と考えて25分温めることにした。愚かな失敗に腹が立ってきたが、仕方ない。途中で止めるわけにもいかない。 ようやくハンバーグが出来上がった。デミグラスソースでおいしそうだ。レンジではうっかりレトルトカレーを温めてしまったので、デミグラスソース付きのハンバーグカレーになる。冷凍とレトルトなのに、調理に25分もかかってしまった。 苦い気持ちで食べ始める。ハンバーグを切って驚いた。肉汁がたくさんしみだしてくる。いつものとは、まったく違う。17分ものをなめていた、と反省する。おいしかった。 料理というほどのことは何もしていないが、ハンバーグに限らず、手間をかけることでおいしくなるものは、きっと他にもたくさんあるに違いない。時間に追われるだけの日々は避けたい、と思った。 148、2月某日 はっちゃんの大往生 先日、愛用のiPhone8が壊れた。「おまえは世界とつながっていない」と友人から叱られ、私はガラケーからスマホに変えた。7年前の出来事である。 以来、iPhone8は頼もしい相棒(バディ)になり、ネット初心者の私をサポートしてくれた。名前をつけてあげようと思いつつ、すっかり忘れていた。哀悼の意を表し、今ここで「はっちゃん」と名づけよう。 昨年1月、バッテリーを交換した時に、はっちゃんは余命宣告をされていた。2年はもちませんね、とのこと。せめて寿命を延ばそうと、不要なアプリは削除して、負荷を減らした。 昨年9月には、急に電源が落ちたり、りんごマークが緑色になったりした。しばらく動かない時もあり、もはやこれまで、と新しいスマホを買う計画まで立てていた。ところが、はっちゃんは奇跡の復活を果たす。何事もなかったかのように動き出し、私を喜ばせた。アプリも知らないうちに増えてしまった。 壊れる瞬間まで、はっちゃんは元気いっぱいに働いていた。動画を送信して、しばらくはっちゃんを放置していた私は、ふと様子を見に行った。電源が落ちている。不審に思いながら、はっちゃんを見ているうちに、緑色のりんごが現れた。ああ、あの時の毒りんご。不吉な予感。そう思うと同時に、りんごが震え始めた。 画面のノイズは大きくなり、いきなり正方形の色彩が規則正しく並び、次々と色を変えていく。ステンドグラスを、私は思い浮かべていた。賛美歌が似合いそうな光景である。やがて色彩の宴は止み、暗いピンク一色になり、そのまま動かなくなった。数時間後には、はっちゃんはすっかり冷たくなっていた。 赤ん坊ではなく、中古の赤ロム危惧種としてやってきたはっちゃんは、2月の厳寒の中、こうして天に帰った。推定7歳の大往生であった。 147、1月某日 チャーリーの受難 愛車のチャーリー5号が、肩身の狭い思いをしている。駐輪場で隣の自転車に、虐げられているらしい。もともと狭い駐輪場で、自己主張の強い自転車が増えるのは悲しい。 チャーリーには後部に買い物用のカゴはついていない。しかし、隣の自転車にはついていて、それだけでかなりのスペースをとっている。 私はいつも、まっすぐにチャーリーを駐輪しているのだが、いつの間にか後部だけが隣の自転車から離されている。新しく引っ越してきた隣の自転車の持ち主が、自分の自転車を出しやすいように、しばしばよけているのだろう。 私がもし親切な人間なら、自らの手でチャーリーの後部をよけておくべきかもしれない。だが、それは赤信号を無理に渡ってくる人や、歩きスマホの人に道を譲っているようで、気が進まない。また、私がそんなことをすれば、ますますチャーリーの肩身が狭くなっていくだろう。だから、譲りつつ譲らない。私はただ、まっすぐに停める。よけたければ、どうぞ。 現在の場所に落ち着くまで、チャーリーは自転車置き場を転々としていた。私が停めている場所に、なぜか他の誰かが置くようになるため、約8年間で3回、移動している。今の場所は、確か3年ほど前に確保した。気の弱い主人を持ったチャーリーが、気の毒である。 部屋ごとに自転車置き場が決まっていれば、こんなことで悩まなくてもよいのだが。一人で数台の自転車を置いている人もいれば、新しく引っ越してきて、屋根付きのスペースがいっぱいで、仕方なく空の見える所に置く人もいる。どんな思いで、いつも空を眺めているのだろうか。 俺は、ここでも戦う前に競争に負けたのか、とため息をつく男。それを優しく見守る自転車と月。いいじゃないか、負けたって。男は空を見上げて、くだらねぇ、と呟く。そんな歌があったような気がする。 4月から管理の費用が値上がりする。この機会に、各部屋の駐輪場を決めてほしい。反対意見もありそうだが、もし多数決を取るのなら、私はチャーリーと新たな住人の車権を守るために、賛成派の勝利を目指して立ち上がりたい。 しかし、住人たちの会合は開かれたこともなく、何らかの世話役のような存在もない。何か要望がある場合には、雨漏りの時のように、管理事務所を通すことになるのだろう。 管理された、意見を出し合う機会の少ない平和な社会に、私たちは生きている。個人として、どう生きるかは別にして。 146、1月某日 年末年始のこと② 元日は、用事で初めてポートアイランドへ。ポートライナーからの眺めが美しくて、思わず写真を撮る。 ポートアイランドは、しゃれた建物が多く、単なる機能的な街ではない。随所に神戸らしさが感じられ、やはり大阪の南港とは違う。南港には南港の良さがあり、一概には言えないが、私の印象としてはポートアイランドの街並みが好ましい。 初めて訪れたとき、南港には時が止まった寂しさを感じた。決して交わることのない日常と非日常とが、別々の時間を生きているようだった。それもまた、南港の良さなのかもしれない。よそ者の私は、そんなふうに感じた。 一方で、ポートアイランドは、街の一体感に加えて、いつまでもおしゃれ心を失わない、明るい心意気が伝わってくる。震災から30年、さまざまな苦難を乗り越えてきた街の表情なのだろう。もちろん、よく見ればあちこちが老朽化して放置されているのだが、どちらに住みたいかと問われれば、私は迷わずポートアイランドを選ぶ。人口減、高齢化といった問題はあるだろうが、美しく明るい街を未来へつなげてほしい。よそ者の私の勝手な願いである。 メールでの新年のご挨拶に、ポートライナーから撮影した写真を添えた。元日に新しい場所に行く、という珍しい年。よい一年になりそうな気がする。

