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○次ページに新聞記事を活用した教材例を掲載しました。
(2023年〜24冬期使用分)

129、5月某日 氷の世界を学ぶ

 小松左京『復活の日』を初めて読んだ。人類の未来について、考えずにはいられない、すばらしい作品。読後、南極大陸のことを知りたくなり、図書館で大きな図鑑を読む。

 同じ日に、イギリスが南極勤務の求人を出している、というネットのニュースを見た。5ヶ月ほどの期間を南極で暮らすらしい。きっと想像を絶する寒さ、不便さだろう。

 南極のような氷の世界は、私にはあまり接点がないと思った。しかし、その数日後、冷凍庫がきちんと閉まらない、という事態が発生。中の氷が育ちすぎたのだろう。まあいいか、とそのまま一昼夜、放置しておく。

 すると次に開けたとき、太い氷柱が出来上がっていた。見事な氷の造形に驚き、さてどうしよう、と考える。氷柱ばかりか、小さなマイナスドライバーではほとんど削れない、分厚い氷で庫内は占拠されつつある。このまま放っておくと、ハンバーグと冷凍ご飯が取り出せなくなるかもしれない。
 やむなく、植木鋏を持ち出した。7年前、庭のない引越し先で何の役に立つのか、と思いながら実家から持ってきた新しい鋏だ。まさかこんなふうに使うことになるとは。

 鋏はドライバーより役に立った。氷の世界は少し減退して、無事にドアが閉まるようになった。しかし、ふと気がつけば、氷のかけらで手にケガをしている。手袋をせずに氷と格闘したのがまずかった。
 南極暮らしなど、私にはとても無理だ。せめて、この機会に冷凍庫を掃除して、氷よりも冷凍食品を入れる空間のほうを広くしておきたい。

128、4月某日 騒中閑あり

 朝から用事で大阪市内へ。その最中、友人から連絡があり、午後に森ノ宮駅で待ち合わせることになった。大阪城公園へ行くのだろう。

 睡眠不足と混雑の予測で気が進まなかったが、久しぶりに会うので文句を言わずにおく。案の定、大阪城公園はすごい人出だった。しかし、天守閣へ向かう道をそれると、そうでもない。桜の舞い散る下で、ベンチに座って石垣を眺めながらのんびり話す。

 麻雀の卓を囲んでいる人々もいて、驚いた。石垣を背景にして打つと、鉄壁のディフェンスで振り込まずに済むのかもしれない。あるいは勇ましく放銃するのだろうか。

 騒がしい中にも静かな空間はあるもので、大阪城公園の広さと豊かな懐、誘ってくれた友人に感謝。忙中閑あり、ならぬ騒中閑ありの一日である。久しぶりに、2万歩以上も歩いた。

 年齢とともに、静かな空間を好む傾向が強くなってきた。手遅れかもしれないが、自分の好みにこだわって排他的になり、気難しくならないように、気をつけたい。

127、3月某日 なぞの特典と変化

 初めてのネットショッピングで、手厚い特典に驚いた月初めだった。そして月末には、3千円のチケットが2枚、登録直後にもらえるという、新手のキャンペーンにノックアウトされてしまった。

 すぐに登録して、うどんを購入。わずか百円で、2キロ以上ものうどん(だし付き)が買えた。半分は、おすそ分けする予定。残り1枚、上着にするか靴にするか迷っている。ありがたいことだ。

 無料体験だけで解約しても、計6千円分のチケットがもらえる。どういう仕組みなのか、不思議である。無駄に防御が固く、背後がガラ空きだった以前の私なら、こうした特典とは関わらなかっただろう。

 しかし、自分を守ってばかりいても始まらない。今の世の中と折り合いをつけて、楽しめるところは積極的に関わっていくほうがいい、と考えるようになった。人生の残り時間がしだいに減っていく中での、自然な変化なのかもしれない。

126、3月某日 負けカレーにドロー財布

 昨年末から使えなかったエアコンの修理が終わった。ファンを交換してもらい、異音もなく無事に温風が出るようになった。天下を取った気分である。2万5千円の出費は痛いが、これで夏の熱中症を防げるだろう。

 数日後に思わぬ来客があり、いいタイミングでエアコンを直しておいて良かった。ファン破損の原因となった洗濯物干しは、くれぐれも慎重にやろう。

 初心者向けの割引率に驚嘆したネットショッピングでは、購入した財布が予想外に大きくて困った。寸法や厚みをしっかり理解していなかったのがいけない。良さそうな品ではあるが、財布に見合った中身がない。存在感のある財布の中に、紙幣が数枚では寂しい。ダミーに宝くじでも入れておこうか。

 8袋セットで2千円以上するレトルトカレーを、7割引で買って喜んでいたものの、具がほぼ何も入っていない。カレー自体は肉の旨味でおいしいのだが、少し残念だ。半額で買ったフライパンは当たりのようで、使いやすくて焦げつかない。靴もまずまずの履き心地。アーモンド入りのチョコレートは、もし次の割引券があれば、ぜひリピートしたい。

 3勝1敗1引き分け、といったネットショッピングの結果である。割引率につられて、いろいろ買ってしまった時点で負けているような気もするが、チョコレート以外は必要な物を買うことが出来た。
 当たり外れは個人の好みによる。具のないカレーが好きな人には、私の「負けカレー」は、勝ちになるかもしれない。

125、3月1日 粉もんを明日への糧に

 本日、太宰治賞の一次選考を通過した作品が発表された。残念ながら落選。これでまた心機一転、新しい作品が書ける、と即座に切り替えて、缶コーヒーを飲み干す。

 古い夢は、空き缶と一緒に捨ててやる、と気合いを入れてゴミ箱へ。間違えて可燃の箱に捨ててしまった。それなりに、ダメージを受けていたのかもしれない。
 燃え尽きない目標を、燃えるゴミに出してはいけない。今日の落選は、明日への糧である。

 また次回、頑張るのもよし、別の作品を別の賞に出すのもよし。幸い、アイデアがいくつかあるので、近日中に書き始めたい。

 久しぶりに、お好み焼きを買って帰宅。粉もんを食べながら、ひとりつぶやく。
「こんなもんじゃない」と。

124、2月某日 買い物上手?

 ようやく、ヤフーのフリーマーケットで買い物することを覚えた。初めてのためか、割引チケットがすごい。半額と、70%オフの2枚を使った。もちろん、割引の上限があり、3千円まで。エアコンが70%オフならいいな、と思ったが、そこまで甘くはなかった。

 チケットは、フリマ分だけではない。別にオークション用の物もある。迷った末、70%はレトルトカレー8個、半額はナッツ入りのチョコに使った。オークション用の70%は靴、半額はフライパン。4品合わせて定価9千円近いところが、3千5百円ぐらいである。

 こんなに得だとは、知らなかった。しかし、初めての買い物が終わったので、今後は極端な割引のチケットはもらえないだろう。買い物癖をつけないように気をつけたい。ちょうど靴とフライパンを買わねばならなかったので、大変助かった。

 7年使ったフライパンは、焦げつきがひどくなっている。私もまた、人生のさまざまな目標を達成できず、焦げつかせたままである。新しいフライパンで、うまく料理できればいいのだが。

123、2月某日 瞬殺された足跡

 久しぶりに婚活をしてみよう、と思いつき、とあるアプリに登録し、プロフィールを作成した。我ながら力作。さあ、頑張るぞ、と気合いを入れて運営に送る。

 写真をどうするか考えていると、画面にいきなり、強制的に退会、という旨の通知が出現した。渾身のプロフィールで悩殺のはずが、瞬殺されてしまった。

 決して公序良俗に反する内容を書いたわけではない。何が運営の逆鱗に触れたのか分からない。暖房が壊れ、あまりの寒さに婚活に至った経緯を、ややコミカルに書いたのが悪かったのだろうか。不真面目だ、と門前払いされた可能性はある。

 仕方なく、気を取り直して別のところに登録した。しかし、無事に登録を済ませると、なんだか面倒になってきた。今回もきっと、有料会員にはならず、幽霊会員で終わるのだろう。忙しい時期なので、それを言い訳にしてもいい。

 少しは努力しました、という小さな足跡を残すために、婚活をしているような気がする。プロフィールの閲覧履歴を「足あと」と呼ぶのは、なかなかおもしろい。

122、2月某日 柵の向こうに

 おにぎりかサンドイッチを作って持ち歩く日が増えた。乗り換え駅の最後方で、柵にもたれて食べる。誰もいない、お気に入りの場所だが、ある日、柵の向こうに先客がいた。猫である。

 灰色で、毛並みはぼろぼろ。所々、抜け落ちている。電車を待つ間に私が食べていると、寄ってくる。やむなく、少し分け与えたところ、素直に食べた。もっと欲しいのか、私を見つめる。

 こんな所で、独りぼっちで暮らしているのか、と憐れに思い、さらに与える。やがて電車が来て、私は手を振る。猫は律儀にも、見送ってくれる。

 そんなことが何度かあったある日、猫に連れ合いがいることが分かった。毛並みの良さそうな三毛猫を伴っている。どこかの飼い猫と仲良くなったのかもしれない。私が食べ始めると、灰色の猫は連れ合いを待たせて、もらいに来る。三毛猫のほうは、おとなしく待っている。

 私の作るおにぎりやサンドイッチを、猫が気に入ったとは思えない。なんだか、付き合いで食べてくれているような気がする。食ってやるからまた来いよ、そんな感じだ。出会っただけで喜んでくれる犬とは、やはり、大違いである。
 この日は、2匹の猫が私を見送ってくれた。いつもいるわけではないが、乗り換え駅で、ささやかな楽しみができた。

121、2月某日 夏までには

 年末にエアコンを壊してしまい、そのまま。他に暖房器具はないので、室内は寒い。ズボンを2枚はいて、なんとかしのいでいる。よほど寒くならない限り、これで大阪の冬は越せそうだ。

 しかし、洗濯で困っている。1日おきに洗っても、前の洗濯物が乾かないまま、次の洗濯をすることになってしまう。暖房があれば、すぐに乾くのだが。
 7年前にニトリで買ったプラスチックの物干は、中央の支柱の周りに上、中、下の3段のタコ足がついていたのだか、もはや上段しか残っていない。24本あったタコ足が、残り8本。乾かないばかりか、干す場所も限られている。乾かす優先順位を考えながら、干さねばならない。
 だんだん面倒になってきて、やむなく服を買う。その前に、物干を買うべきだったかもしれない。

 夏までには、エアコンを直したい。室内なので大阪の寒さはしのげるが、暑さは無理だろう。物干が壊れ、エアコンが壊れ(うっかり壊したのだが)、掃除機も壊れ(角度によっては動かない)、7年前の引越しのさいに揃えた品々に、いろいろガタがきている。
 私もまた、40代だった7年前に比べてガタがきているのだろう。たまにはメンテナンスをする必要があるかもしれない。

120、1月某日 新年の読書

 正月休みは読書で過ごす。そう思って図書館で10冊、本を借りていた。しかし、元旦から能登で大きな地震があり、いろいろ気にかかって考えているうちに、小説が楽しめなくなった。
 被災された方々の大変さは、はかりしれない。結局のところ、亡くなった方々のご冥福、救助活動の進展、適切な支援と復興を祈り、少し募金するぐらいしか私に出来ることはないのだろう。

 現実に何か大きな出来事が起こると、私は本をあまり読めなくなる。この休み期間中に読んだのは『小説 渋沢栄一』(津本陽 幻冬舎文庫)のみ。新札関連で何となく借りた本だったが、幕末から明治の様子が、広い視野で描かれていておもしろい。客観的な冷静さと、熱い志とが融合したすばらしい作品。それが、渋沢栄一という人物の特徴であるのかもしれない。新しいシステムを構築し、浸透させるには不可欠な資質である。まことに不本意ながら、私には乏しい。
 まだ下巻の途中で、今後の展開が気になる。新しい一万円札になる人物を知り、敬意を抱けば、私も少しは一万円札に好かれるようになれるかもしれない。あるいは、これまで通り私の片想いのままだろうか。せめて無駄遣いをしないようにしよう。

◯揚げ物をあまり食べないようにする
◯無駄遣いをしないようにする

今のところ、新年の目標はこの2つ。

 このたびの出来事と読書を通して、これからの日本、世界がどのような道をたどるのか、学生時代のようにもう一度、考えてみたいと思った。考えるだけではなく、私も何か役に立てればいいのだが。それを3つ目の目標に掲げよう。

119、2024年 元旦

 明けましておめでとうございます。
 本年もよろしくお願い申し上げます。

 昨年12月30日、「華麗なる忘年会」を拙宅で開催した。10、11月に続いて、12月も圧力鍋でカレーを作る。「と・し忘れカレー」と名づけ、「と」ンカツ、「し」ーフードなどの「と」ッピングは一切なし。カレー肉、じゃがいも、にんじんだけの簡単なカレー。せめてウインナーを入れたかったのだが、投入すべきタイミングが分からず、断念した。
 先輩と友人がお菓子やケーキを持ってきてくださり、とても食べきれない量で、思いがけず私の正月のおやつになった。ありがとうございます。

 31日は京都で学生時代の友人と2人で、年末恒例の回転寿司。さすがにもう、一皿百円というわけにはいかない。30円以上高くなり、シャリも小さくなっていたような気がする。
 昨日のおやつを分けてあげようと持参したところ、逆に旅行の土産をいただいた。のどくろ入りの海苔の佃煮。ちょうど短歌の下の句になりそうな軽快なリズムで、胃にもやさしそうだ。

 年の瀬の 出雲土産の 良縁の
 のどくろ入りの 海苔の佃煮

 本年はなるべく半額割引の唐揚げや豚まんを買うのをやめて、夜はあっさり済まそうと思う。とりあえず1月は、先日いただいた梅干しと、海苔の佃煮で何とかなりそうだ。食生活を改善しなければ、年齢的に胃の調子が悪くなることに、ようやく気づいた。いつまでも若い頃のような食事ではいけない。

 何か新年の改まった誓いを述べたかったのだが、食べ物の話になってしまった。せめて「今年は揚げ物を食べ過ぎないようにする」という、目標を掲げておこう。

118、12月某日 エアコンの教え

 一つ小説を仕上げると、またすぐに書かねばならないような気持ちになってくる。そこで慌てて無理やり書くのだが、うまくいかない。だんだん自分に腹が立ってきて、2、3ヶ月ぐらい不機嫌な日々を過ごす。時には気晴らしに出かけるが、財布の中身がなくなり、ますます腹を立ててしまう。やがて諦めて、しばらくの間おとなしくする。パソコンも休眠。

 そんな愚かなサイクルを繰り返していた。しかし、今回はエアコンの教えにより、いきなり、しばらくの間おとなしくする境地に到達した。

 洗濯物が乾かない年末のある日。30分後に出かけねばならず、困っていた。その時、エアコンの送風口の中央に、ハンガーを引っ掛けられそうな箇所を発見。よし、と急いでハンガーを掛ける。こんなに便利なポイントに、なぜ今まで気づかなかったのか。

 10分後には、すっかり乾いていた。得意気にハンガーを外す。その時、少し引っかかってしまい、ハンガーがエアコンの内部に入った。すると突然、ガガガと異音がして、プラスティックの破片がいくつか出てきた。ハンガーは無傷だったので、エアコンの中から飛び出してきたのだろう。

 慌てて電源を切る。再稼働すると、しばらくの間は異常なし。だが、また異音がし始める。ネットで調べたところ、どうやら内部のファンが破損しているようだ。修理には2、3万円かかるらしい。

 慌てて洗濯物を乾かしたばかりに、大変なことになってしまった。悔やんだところで、ファンは元には戻らない。数時間ほど、落ち込んでいた。引っ越そうか、と思ったほどだ。

 しかし、電車を降りた時に突然ひらめいた。私の内部でも、常に何かが動いている。日々のさまざまな出来事に、私の内部のファンも回転しているだろう。そこに無理やり手を入れて、何かを引き出そうとしたら、どうなるのか。きっと良い結果にはならないだろう。

 おとなしく待って、日々の営みに励むことも、創作活動には、きっと必要なのだ。私の内部のファンからのサインを聞き、しかるべき時に取り出せばいい。そうすれば、作品はおのずと出来るだろう。そうしていつか、良い作品を仕上げ、その作品のファンの方にサインをしてみたいものだ。

 エアコンの破損は痛いが、良い気づきのあった一日。夜には先輩の奥様から、見事な梅干しをいただいた。ハチミツ入りだが、エアコンを見上げながら食べると、酸っぱさが際立つ。

117、12月某日 不屈で和やかな最中

 起上もなか、という加賀八幡の最中をいただいた。だるま型で、愛らしい衣装に包まれている。指ではじいてみると、少しぐらいなら倒れないのが面白い。起き上がり小法師を思い出させる。

 先日の、漱石ゆかりの空也もなかは、食べるのに忙しくて、写真撮影を忘れてしまった。今回は、食べ始める前に記録に残しておく。揺らして起き上がってくる瞬間を下からスローで接写してみたかった。だが、私の技量では無理がある。誰かが最中の宣伝でやってくれたらいいな、と思いながら普通に撮影。

 中に餡が詰まっているので、意外に重い。スカスカの最中が少し苦手な私には、嬉しかった。スカスカだと、皮が口の中にへばりついて困る。ぜいたくな話だが。

 不屈の精神と和やかな雰囲気を兼ね備えた起上もなかは、理想的な手本のような気がする。私もそんなふうになれますように、と願いつつ、半日で3つ食べた。ご馳走さまでした。 

116、12月某日 パンチを欠いた物語

 太宰治賞に応募する原稿が仕上がり、あとは郵送の準備だけ。その段階で、穴開け用のパンチが見当たらない。

 そういえば、と昨年のことを思い出す。太宰治賞に応募したあと、パンチをどこかにしまったのだが、こんな所に入れると後で分からなくなるのではないか、と少し考えたはずだ。急いでいたので、まあいいか、とそのまま出かけた。

 そしてパンチは行方不明。1年前の不安が、ずばり的中した。仕方なく、慌てて百均に行く。寝起きのぼんやりした頭で、つい、余計なおやつまで買ってしまう。

 パンチがないのは、応募する拙作も同じだろう。今回、私が書いた物語には、読み手を魅了してノックアウトできるような仕掛けは皆無だ。だが、そうした仕掛けを意図せずに、おのずから成る方向に突き詰めていけば、別のタイプの作品が生まれるのではないか。

 確かに、パンチやキック、武器にこだわり、工夫を凝らす物語は面白い。しかし、そればかりが物語ではないだろう。そもそも私のへなちょこパンチでは、人生を綴れない。数々の落選を経て分かったことだ。それはきっと、大切な発見である。

 パンチや武器を放棄して愚直に打たれ、よろよろと立ち上がるところに、差し伸べられる手が見える。そうした物語を、私は書きたいと思う。立ち上がることへのためらいも含めて。なぜなら、それもまた人生なのだから。

 とはいえ、私自身、切実に訴えかけるほどの苦労は特にしていない。だが、想像力と共感力を磨いて守備範囲を広げていくことで、他者の物語も書けるかもしれない。その他者が、書かれることを望むかどうかは分からないが。

 どんな拙作でも、書き上げることに意義があり、そうして初めて、分かることがある。今回の作品を仕上げて、そんなふうに思った。 

115、12月某日 短編セットでスイーツ

 9月末から書いていた作品群が、無事に仕上がった。5つの短編がセットで、1つの作品になる。400字詰換算で合計60枚。50枚以上、という太宰治賞の規定枚数に達したので、応募できる。

 テスト対策でなかなか書く時間が取れなかったのだが、テスト後に連休があり、そこで一気に、2つの短編を仕上げることが出来た。頑張っている生徒たちに負けられない、という大人げなさが、エネルギーになった。もちろん、漱石ゆかりの珍しい最中も。

 仕上がって、近所の洋菓子屋のシュークリームを買う。その店で、おいしそうなタルトを見つけた。小説の完成祝いがシュークリームで、太宰治賞への応募祝いがタルト、ということになるかもしれない。

 一次選考通過祝いは何がいいかな、と考えてしまう。ベストは尽くせたので、何とか通過できればいいのだが。応募祝いでは、ただの参加賞だ。それでも、タルトが食べられるのは嬉しい。

 何かにかこつけて、スイーツを食べる機会が増えている昨今である。

114、11月某日 最中パワーで執筆

 先輩の奥様から、珍しい最中をいただいた。空也という名前である。この時世に、通信販売がなくて、東京の店舗に行かなければ買えないらしい。

 夏目漱石の作品の中にも、この最中が登場する。ちょうど小説を執筆中の私にとって、ありがたいご利益がありそうな最中だ。

 ここ数年、12月10日締め切りの太宰治賞に応募するために70〜100枚程度の作品を書いていたのだが、無理やり長くしているようで、うまくいかなかった。今回は15枚前後の短い話を5つ書くつもりである。5つの独立した短編で、一つの作品になる。

 現在、3つめまで仕上がっている。そこで初めて、太宰治賞の締め切りを思い出し、残り2つを2週間足らずで書くことになってしまった。今年はうっかり、締め切りを忘れていたのである。完成するかどうかは分からないが、最中パワーでベストを尽くそう。

 皮に少しだけあぶった跡があり、ほんのりと香ばしい。焼き加減が難しそうな最中である。ご馳走様でした。
 思いがけず、おいしいスイーツに恵まれた11月だった。

113、11月某日 お礼のはずが

 2週連続で、圧力鍋でカレーを作る。高校時代からの友人を招いて、一緒に食べた。ケーキをいくつか買ってきてくれたので、2週連続のケーキになる。栗が旬のためか、モンブランがおいしかった。

 思えば、今年も甘い物をいろいろ食べた。新たな発見としては、芋羊羹のおいしさに気づいたこと、業務スーパーで初めてココアファッジを買い、ハマってしまったことなどが挙げられる。

 芋羊羹は先輩からファミマで売っている物をいただき、あまりの旨さに驚いた。その後、近所のスーパーの京都フェアで、本格的な芋羊羹を買ってみたところ、何これ、とつぶやくほどの味わいだった。人生で食べた和菓子のベスト5に入る。

 どこの和菓子なのか忘れてしまったのを悔やんでいたのだが、この日、友人に話しているうちに、ネットで調べることを思いついた。無事に見つかり、伏見にある店の芋羊羹であることが分かった。

 一つ200円ぐらいなので、手ごろである。ケーキのお礼に友人の分も取り寄せることにした。しかし友人は、散歩がてら伏見に行って買ってくる、と言う。散歩がてら伏見に行く、というのが、日ごろから数十キロを平気で歩く友人らしい。お礼のはずが、逆になってしまった。

 それだけ歩く友人は、スイーツをいくら食べても大丈夫だろう。私のほうは、あまりたくさん食べないように気をつける必要がある。ぼんやりとそう考えながら、ちょうど今、コーヒーと一緒に極細ポッキーを食べている。

 カレーとケーキの後は、久宝寺緑地へ。暖かで快晴の一日。失われた秋が、戻ってきたようだった。

112、11月某日 ご馳走するはずが

 雨漏り対応の補償金が無事に振り込まれたので、その臨時収入で大阪市内に住む友人にご馳走することにした。前回会ったときに食事をご馳走になったお返しである。

 難波あたりでランチを予定していたのだが、八尾まで来てくれる、とのこと。それなら、と拙宅に招いて圧力鍋でカレーを作ることにした。10月も別の友人とカレーを食べたので、2ヶ月連続である。12月もたぶん、カレーを作ることになるだろう。

 少し上等のカレー肉を入れたところ、柔らかくて驚いた。安い肉でもそれなりに柔らかくなるのが圧力鍋の特長だと思っていたのだが、良い肉はもっと柔らかく、おいしくなる。

 友人は、お土産にホールケーキを持ってきてくれた。今月初めが私の誕生日だったので、お祝いの言葉が書かれたウエハースが添えられている。

 肉を奮発したとはいえ、私の作るカレーにかかる費用はせいぜい1,700円程度だ。きっとケーキ代のほうが高いだろう。申し訳ないことだ。いや、値段の問題だけではなく、心遣いに感謝である。ホールケーキを切って食べたのは、いつ以来か分からない。

 腹いっぱいカレーとケーキを食べて、さまざまな話をした。楽しい一日だった。

111、10月某日 塞翁に出会った日

 塞翁が馬、という故事成語がある。幸不幸は予測できないことのたとえだ。珍しく、それを実感した一日。

 朝、プレゼント用のハロウィンのクッキーを買いにアリオ八尾へ向かう。カルディで先日、目をつけていた品なのだが、売り切れている。しかも、ハロウィンのコーナーがすでにクリスマスに占拠されつつある。

 仕方なく、リノアスの贈答品売り場に行く。ここでも、ハロウィン関連のお菓子は少ししか見当たらない。クッキーを2袋買い、やれやれとトイレへ。入り口に、横幅の広い、黒スーツの年輩の男がいて、中に入れない。普通は人が来たらよけそうなものだが、ニヤニヤするだけで動こうとしない。

 気持ちが悪くなり、他のトイレに行こうかと思ったが、負けるのも悔しくて「すみません、通してください」と大きめの声で言った。変なところで意地を張ってしまう。個室がいっぱいだったので、男は順番を待っているのかもしれない。しかし不気味である。

 無事に用をたして、出ようとするとまた男が立ちふさがっている。うすら笑いを浮かべてよけない。「通られへんやろ」そう低く呟いて、私は男にぶつかりそうになりながら出ていった。ついてない日だ。なぜトイレでくだらない争いをしなければならないのか、と悲しくなってきた。

 帰路、近所のスーパーに寄る。レジに並んでいるときも、トイレでの出来事が気にかかっていた。そして、財布から10円玉を落としてしまった。レジカウンターの向こうに転がって、見つからない。ますますついてない、と腹が立ってきた。

 するとレジの女性は、こんな財布があるのか、と驚くほど小さな小銭入れを出して「いくらですか」と私に尋ねた。10円玉です、と答えると私に10円玉を渡してくれた。固辞したが、女性は「後で出てきますから」と笑う。少し得をした気分で、店を出た。

 午後、奈良の塾へ向かう。電車が運休・遅延しているようだ。仕方なく、早めに行くことにした。しかし、実際には私の使う橿原線の普通は、ほとんど時間通りだった。ついているのかいないのか、よく分からない。

 授業開始の1時間ほど前に、塾に到着。早すぎる、と思いながら準備を始めると、いきなり外は雷雨になった。風もかなり吹いている。普段通りなら、ずぶ濡れになっていたところだ。

 ついているのかいないのか、本当に分からない一日だった。ふと、トイレでの出来事が浮かんできた。「ふさぐ」は「塞ぐ」と書く。もしかすると立ちふさがっていた男は、塞翁の化身だったのかもしれない。

 一つ一つの出来事に一喜一憂しても仕方ない。遅ればせながら、信念と志を持って生きていこう、と改めて思った。

110、10月某日 秋の装いと脳トレ

 カバンのチャックが壊れ、靴と休日用のズボンに穴が見つかり、カッターシャツも襟元が破損しつつあり、いろいろ買わねばならなくなった。

 いただき物の少しおしゃれなショルダーと上等な生地のズボンは、残念ながらサイズが合わない。仕方なくカバン、靴、ズボン、カッターシャツを合わせて1万円以内で買う計画を立てる。

 新たな秋の装いを目指すのではなく、手持ちの物を身につけて街を歩くのが困難な段階で、何か買わねばどうしようもない状況である。

 まずカバン。リュックサックをリサイクルショップで探す。店舗の大きな順に3箇所を回る。一番期待していなかった最後の店で、ロゴスの良さそうなリュックが見つかった。ほとんど新品なのに2千円。定価なら倍はするだろう。

 次にカッターシャツ。店の外に特売品を置いてある紳士服店へ。首回りがちょうどで、袖のサイズが少しだけ長い、ローソンの制服に似た品があった。迷わず、それを買う。定価は4千円近いが、千円だった。

 よく歩くので、靴はアリオでちゃんと買った。3千数百円。レジに行くと、もう一品何か買うと、どちらも15%オフになる、と教えてくれた。この日が最終日らしい。

 ちょうどズボンがあり、定価4千円が千円に値下げされている。薄いので、夏物の売れ残りだろう。穴が空いているズボンよりはずっとマシなので、靴とセットで買った。合わせて4千円未満で済んだ。

 1万円の予算だったが、7千円もかからなかった。良い買い物をしたな、とさっそくズボンを洗濯すると、見事にシワだらけ。アイロンをあてないと、履けそうにない。

 しかし、この間からお金の計算ばかりしているので、私の脳のシワも少し増えたかもしれない。秋の装いで脳トレ完了、である。

109、10月某日 2年連続で雨漏り④

 屋上に防水シートを張る工事が行われて、雨漏りの対応がようやく終わりつつある。管理会社から2週間ぶりに連絡があり、形の上で示談書と請求書が必要になるので、手元に届いたら必要事項を記入し、返送してほしい、とのこと。

 2度の雨漏り対応で要した時間分は、金銭で補償してもらえることになっている。私の作成した対応時間の内訳が、そのまま訂正されずにOKとなったのは嬉しい。

 雨漏りは改善され、いくらかの補償金が手に入る。汚水の流れた跡が残る梁を見ると、他の部屋と同じ家賃なのは理不尽だ、という思いは残るが、これで良しとせねばなるまい。

 振り込まれるのは、ちょうど私の誕生日ごろになりそうで、思いがけない天からの、「誕プレ」ならぬ「天プレ」である。

108、9月某日 2年連続で雨漏り③

 ホームページからメールを送って1週間後、ようやく管理会社から電話があった。2年連続の雨漏りでも、家賃を下げることは出来ない、とのこと。なぜ、雨漏りのない他の部屋と同じ家賃を払わねばならないのか、という質問には、誰もまともに答えてくれない。触れてはいけないタブーなのか、あるいは集合住宅の七不思議の一つとして、長年にわたって巷に流布している事象なのだろうか。

 家賃は下げられないが、雨漏りの対応のため、私が在宅しなければならなかった時間を金銭で補償する、という話になった。通常は、こういった補償はないらしい。おかしな話だと思うが、私が世間からずれているかもしれないので、何とも言えない。

 何もないよりマシなので、受け容れることにした。これ以上、家賃の減額を求めて頑張ったところで、いいことはなさそうだ。2度の雨漏り対応で100時間ぐらい、と申請してみたいが、そういうわけにもいかない。だいたい、以下のようになる。すべて認められるかどうかは、分からないが。

雨漏り1回目 約18時間
○業者対応のため在宅 8時間ぐらい
○業者対応のため在宅するが、予定の日時に業者が来ずに待ちぼうけ 4時間
○押し入れ内で雨漏りのため片付け、清掃 4時間
○布団クリーニング準備 1時間
○電話連絡による対応 1時間ぐらい

雨漏り2回目 7時間
○業者対応のため在宅 6時間ぐらい
○水漏れ箇所清掃、電話連絡による対応 1時間ぐらい

2回分の合計 約25時間

私の気持ちとしては、1回目の「待ちぼうけ」は、2倍の8時間にしたいところである。

107、9月某日 2年連続で雨漏り②

 今回の雨漏りを修理するため、すでに業者が2度、来訪した。屋上でホースで水をまいたようだが、雨漏りの箇所は特定できていない。3日後に、また来る予定。暑い中、直しに来てくれるのは有り難いが、そのつど立ち会わねばならない。

 押し入れの梁には汚水の流れた跡がついている。こうした状況で、他の部屋と同じ家賃を払っているのはおかしいと思ったので、住まいセンターに電話してその旨を伝えた。折り返し連絡をもらえるはずが、1週間経った今も来ない。仕方なく本日、相談内容をまとめたメールをホームページから送付した。

 家賃が安くなるかどうかは別にして、何の連絡もないのはどうかと思う。家賃を取る部門、設備面で対応する部門、来訪して修理する業者など、さまざまな役割に分かれていて、苦情の訴えや交渉がしづらい仕組みになっている。たらい回しすら、されない。親身になって謝ってくれるのは、じかに接する修理の業者だけだ。

 2年連続で雨漏りする部屋でも、おたくは同じ家賃で知らん顔して貸し続けるんですね。私がそう言ったところで、相手のほうは、それが嫌なら出ていけばいい、そんなふうに思っているのかもしれない。

 もっとも、私も決して褒められた借り手ではない。昨年の雨漏り後、家賃を自動で引き落とされるのが嫌になり、自分で月々、振り込むようにしている。しかし、なぜ同じ家賃なのか、と納得がいかない。支払いに抵抗を感じて、とりあえず後回しにすることもある。
 そんなことをしても、何の得にもならない。振込手数料と延滞金が発生するだけである。また、払える時に払っておかなければ、払えなくなる。分かってはいるのだが、ついくだらない反発をしてしまう。

 その雨漏りが2年連続で発生して、さすがに今回は黙っていられない。生活には便利な場所なので、6年ほど住んでいるが、そろそろ考えたほうがいいかもしれない。

 歴史ある会社は、歳月という風雪にさらされた鉄面皮を持っている。そして、それはしばしば人間性の破壊の上に成り立っているのだろう。馬齢を重ねた私も見習いたいような気もするが、とても無理だ。

106、9月某日 2年連続で雨漏り

 またか、と布団を押し入れにしまいながら、つぶやいていた。昨年は押し入れの北端で、今回は南端で雨漏り。夜のうちにかなり水滴が落ちたようで、扉下部のレールには水が溜まっている。しかし、押し入れ内部には水は落ちていない。衛生面のほかに被害はなさそうだ。

 下の階に漏れ出すと大変なので、現状を損なわない程度に拭く。そしてスマホで写真撮影。管理事務所に行き、2年連続の雨漏りを伝えた。業者に連絡します、とのこと。

 休みの日で良かった、と考えながら図書館に向かう。自転車をこいでいるうちに、腹が立ってきた。これでなぜ、他の部屋と同じ家賃を払わねばならないのか。対向車がよけていく。私はきっと、怖い顔をしているに違いない。

 図書館で本を借りようとした時、管理会社から電話。2時ごろに業者が来ることになった。他の部屋と同じ家賃、アホらしいですわ。そのへん考えてもらえますか、と言ってしまった。押し入れ内部に被害があった前回は、布団一式をクリーニングに出し、その実費を負担してもらった。2年連続、ということで、今回は家賃減額の交渉をしてみようと思う。欠陥住宅であることは、もはや間違いない。

 来訪した業者は、昨年と同じ方だった。去年は北側でしたね、と言いながら押し入れの北端を見ると、新たに汚水の流れた跡がついている。初めて気づいた私は、驚くしかなかった。直してもらったはずの箇所なのに。おそらく、屋上は想像以上に老朽化しているのだろう。

 家賃減額交渉のミッション開始、と私はひそかに決意した。

105、8月某日 夕立の思い出

 相変わらず残暑は厳しいものの、季節が少しずつ移り変わっていくようで、夕立が増えてきた。この時期になると、いつも思い出す出来事がある。

 5年ほど前、塾の集団指導をしていた私は、教室に向かうため歩いていた。ふと、背後に気配を感じて振り返ると、空が黒雲に覆われていた。雲は青空を呑み込む勢いで、迫ってくる。

 夕立だ、と気づいた私は駆け出して、丼屋に避難した。その直後、豪雨となった。セーフ、と自分の判断を誇りたくなったが、丼屋に逃げ込んだ以上、何か注文しなければならない。少し前に食事を済ませていたのに、鶏天丼を頼んでしまった。

 やがて夕立はやみ、私は腹いっぱいで塾に到着。授業の始めに、一連の出来事を生徒たちに伝えた。夕立すごいぞ、すぐ来るぞ。あっという間や。丼屋に逃げてセーフ。おかげで濡れへんかったけど、食べ過ぎ。それらをもう少しだけ上品な言い方で。ふと、一人の男子生徒と目が合った。その生徒はすぐに視線をそらした。ふん、くだらない、と思われたのかもしれない。

 気を取り直し、授業を進める。この日の指導内容は俳句。他人の俳句を鑑賞するのもいいが、私は体験学習が好きだ。そこで、皆で俳句を作ることになる。
 先述の男子生徒が作った一句が、今も忘れられない。

 夕立に追われ駆け込む丼屋

104、8月某日 冷たいしりとり

 アイス、スイカ、かき氷、リノアス。冷たいものでしりとりができる、そんな猛暑の一日。

 そもそも、かき氷はごほうびのはずだった。午前中に墓参りを済ませて、やれやれ、と汗だくで帰宅した後に食べる。そのために買っておいたのだが、うっかり二度寝してしまい、起きたら10時。すでに炎天下で、出かける気力がわいてこない。

 午後から友人と図書館に行く予定もある。仕方ない、墓参りは明日に延ばすことにしよう。そう決断して、ごほうびのかき氷だけ食べた。罰当たりな盆休みの始まりである。

 図書館で1時間半ほど読書。その後、アイスクリームを食べに行く。昔ながらの、白くまのアイスクリームをリノアスの地下でゆっくり食べる。友人は白くまのかき氷。
 冷たいものしりとりの「かき氷」の後に「リノアス」を加えておこう。冷房が効いていて、とても涼しい。

 少し寒くなってきたので、外に出て日陰のベンチで過ごす。雷雲が発生する予報で、それまでに帰宅しよう、と自転車に乗る。10分もたたないうちに、また汗が出てくる。友人とスーパーに寄り、角切りのスイカを買った。今シーズン初めてのスイカだ。

 昨夏は初スイカが9月だったので、それよりは早い。赤くておいしかった。帰宅して、図書館で本を借りるのを忘れたことに気づく。スイカを少し食べてから、自宅付近の別の図書館に向かう。午後4時を過ぎているのに、暑いままだ。今度は冷たい飲み物が要るな、とキリがない。万代で、安売りの1.5リットルのペプシを買う。

 本日は冷たいものだけで、700円ぐらい使ってしまった。甘党のまえだのかき氷が食べられる金額だ。ペプシは半分ほど残っているが、他はすべて食べてしまった。

 台風が近づいている。明日は午前中に必ず墓参りに行こう。午後からは雨の予報だ。風もきっと強まるだろう。お腹をこわしていなければいいのだが。

103、7月某日 一輪の涼しさ

 亡き親戚の墓参のため、平野の大念仏寺を訪れた。35度を超える炎天下、自転車をこいで30分ちょっと。とにかく暑い。なぜ急に、思い立ってしまったのか、と自分を責めたくなる。

 境内に入ると、あちこちに木陰があり、ベンチが置かれている。まずは、そこでひと休み。意外に涼しい。道後温泉で、入浴後に冷房のない部屋で寝そべっていたひと時を思い出す。自然の風のありがたさを感じる。

 墓参のあと、境内を出ようとして、蓮の花が一輪だけ咲いているのを見つけた。暑さを忘れて、スマホで撮影する。きれいやなあ、と思わずつぶやいていた。
 蓮華の生み出す時空を超えた涼風に吹かれつつ、帰路につく。猛暑の夏の、思いがけない追い風だ。ふと、ろくに心得のない俳句を作ってみたくなる。

 先日、先輩のお母様から川柳の句集をいただいたからかもしれない。生活や思考の断片が、なぜ見事に川柳になるのか、不思議である。変に真面目で融通の効かない私には、川柳は難しい。訪れた大念仏寺は、融通念仏宗の総本山なのだが。
 せめて悔しまぎれの三句を、自転車の前カゴにでも掲げておこう。

 一輪の蓮華に涼風(かぜ)は時を超え
 追い風に吹かれて戻る夏の街
 炎天の旅は墓参に極まれり

 俳句はあまり知らないが、最後の句は、すでに誰かが作っている意匠のような気もする。

102、7月某日 ぼちぼち払おう

 墓地管理費を毎年5月中に払わねばならない。5千円である。振り込みの案内が4月に届く。ああ今年も、もうそんな時期か、と月日の経つのが早いことに驚く。そして、そのまま振り込みを忘れてしまう。

 7月半ばには、督促が来る。あれ、払っていなかったっけ、と首をひねるのが年中行事の一つになってしまっている。慌てて振り込むのだが、もし、そのまま払わなければどうなるのだろう。

 お盆に墓参りをすると、私の家の墓だけ放置されており、蜘蛛の巣だらけ、カラスのすみかとなっているかもしれない。あるいは、遺骨が引き出されて、雨ざらしになっている可能性もある。

 ご先祖様を粗末にした私は、いずれにせよ、ろくなことにならないだろう。私の中で、墓地管理費は、支払いの優先順位が第一位。それなのに、忘れてしまう。

 これでは、他の支払いを忘れるのは当然だな、と納得する。せいぜい働いて、さまざまな支払いが滞らないようにしたい。

101、7月某日 真実は闇の中

 奈良の塾からの帰り道、最寄りの駅まで20分ほど歩く。空腹で、しばしばコンビニでおにぎりを買い、食べながら行く。少し遅めの晩ごはん。途中、テリアっぽい犬が散歩していて、時々出くわす。なぜか仲良くなった。アオン、アオンと吠えてとびついてくる。

 たいていは犬のほうが先に私を見つけるようだ。暗闇の中、20メートルほどの距離から、懐中電灯を持った飼主の女性が、犬らしきものに引っ張られるようにして走ってくる。

 それに気づいた私は、慌てて食べかけのおにぎりをカバンにしまい、犬との触れ合いに備えねばならない。からあげを買っている時には、犬は出会いの喜びはさておき、まずは私のカバンを嗅ぐ。人間の食べ物を犬に与えない、という考えの飼主も多いので、はい一つどうぞ、と取り出すわけにもいかない。実際、犬にとっては味が濃すぎて体に良くないのだろう。

 クッキーという、おいしそうな名前。若く見えるが、もう9歳らしい。人間の年齢に換算すれば50代で、私と同じくらいだ。私も、暗闇の中では若く見えるのか、飼主の女性に「おにいさん」と呼ばれている。女性の年齢は分からないが、おそらく私のほうが年上だろう。まさしく、真実は闇の中である。

100、6月某日 図書館に潜む妖怪

 中1の国語で「ちょっと立ち止まって」という文章を学んでいる。1枚の絵を見て、2通りの見方ができる、というもの。

 先日、中之島図書館の入り口で撮った写真は、ちょうど教材に使えるかもしれない。螺旋階段が美しく、なにげなく撮ったのだが、私にはカッパに見えて仕方がない。

 一度カッパに見えてしまうと、他の見方をすることが難しくなってしまう。
 中之島図書館入り口でカッパ発見。由緒ある図書館には、伝説の妖怪が潜んでいるのだ。

 この「日々の発見」は、今回でちょうど100回。記念に何か、歴史的な発見をしてみたかったが、まさかカッパを見つけるとは思わなかった。そう見えるのは、私だけかもしれないが。

99、6月某日 街疲れからの回復

 4月、5月と大阪市内で仕事をして、その疲れが出た。楽しい職場だったが、きっと街疲れだろう。6月上旬は体調がすぐれず、奈良の塾に行くほかは、寝てばかりいた。睡眠時間が12時間を超える日もあり、つくづく都会での仕事には向かない、と思った。

 現在、週4日奈良に通っているが、ようやく自分に戻れたような気がする。体調も回復し、そろそろダブルワークを、という気持ちになってきた。

 2年前、4ヶ月ほど大阪市内で勤務した時は、もっとひどかった。回復に2ヶ月以上かかってしまい、経済的にかなり困ったのを覚えている。

 あまり無理をすると、後にひびく。無理なく無駄なくダブルワークに励み、しばらく書いていない小説にも取り組んでいこう。

98、6月1日 振り出しに、進む

 大阪市内での仕事が昨日で終了。6月から、また就職活動の予定だった。次の仕事が決まらないまま退職、という段取りの悪さは、一生なおらないのだろう、と我ながら呆れていた。

ところが、週に1日だけ勤めている奈良の先輩の塾が急に生徒が増えたため、週3日行くことになった。もう一つ何か仕事を見つけて、ダブルワーク、国語教室と合わせてトリプルワークになりそうだ。少し見通しが立ってきた。

一つの仕事を終えて、明日からはもう、その職場とは無縁になる。たまに新しい友人が増える。ここ数年、そんな短期の仕事を繰り返しているが、それはそれで、楽しい面もある。私はきっと、退職の日を迎えるのが好きなのだろう。

明日からは新しい日々がやってくる。期待と不安と、少しばかりの達成感。短い期間に出会った人々との交流。

そうした思いを抱きながら、私はまた新しい振り出しに進む。決して、振り出しに戻るのではないのだ、と信じて。

97、5月某日 少しだけ日の丸を背負う

 夕方から奈良の塾で、それまでにゆっくり買い物に行く予定だった。しかし、起き抜けに友人から着信。中之島のバラ園に行こう、とのこと。靴下を買わないといけないから、とやんわり断ろうとした。

 この日の友人は粘り強く、じゃあ通販で買った靴下があるから2足あげる、と親切に言う。それ以上断りきれず、またバラ園も見たくなり、同行することにした。靴下もありがたい。

 バラ園は見事に満開。広くて涼しい風が吹き抜ける。バラの香りを感じ始めたころ、強烈な匂いが全開の鼻の穴を襲う。たくさんの人が、バーベキューをしている。いい匂いには違いないが、少し残念だ。大阪らしい、と喜ぶ人もいるかもしれない。

 川沿いで腰掛けて休む。水上バスがやってきた。こちらに向かって、両手を振るサングラスの外国人。若い女性のようだ。私だけが、その女性と向き合っている。他の人は皆、背中を向けている。

 あの女性は、どうやら私に手を振っているらしい。無視をすることは出来る。事実、出勤時の御堂筋で、私は観光客を避けながら不機嫌そうに歩いている。歓迎など、特にしていない。
 しかし、今は私しかいない。ここで無視すると、どうなるのか。日本人は冷たい。礼儀を知らない。そんなイメージを彼女に与えてしまうだろう。

 平凡なオッサンが突然、日の丸を背負う運命になってしまった。えらいこっちゃ、と私は大げさに手を振る。出勤時の反省も込めて。すると、相手のジェスチャーが大きくなる。やむを得ず、私の動作も激しくなる。そうして疲れた頃、ようやく水上バスは去っていく。

 それを3セット。友好関係を築くには、努力が必要なのだな、と思った。 

96、5月某日 シフト制の日々

 しばらくの間、シフト制で仕事をしている。休みたい日はあらかじめ希望を出せるので、自分の予定は組みやすい。大変助かっている。

 しかし、基本的に土日のどちらかが出勤で、土曜日の午後から奈良の塾に行く私は、土曜休み、日曜が出勤になる。どうしても休みたい日曜は希望を出すが、たびたびは無理。

 そのため、土日が休みの友人と一緒に過ごすのが、難しくなってしまった。自分ひとりの予定は立てやすいのだが。

 シフト制と定休のどちらがいいのだろうか。いろいろ考えるが、そもそも仕事がなければこんな悩みをもつこともできない。まずは仕事があることに感謝しよう。たとえそれが、短期であっても。

 なお、私の休日が不定で、仕事の日は大阪市内で20時まで勤務しているため、国語教室はしばらくの間、土曜日の午前中のみ開講します。

95、4月某日 都合の良い記憶

 新たな職場で仲良くなった方から、映画や音楽について、いろいろ教えていただいた。私はこの方面には疎く、映画を楽しむ趣味もなければ、家で音楽を流していることもまったくない。しかし、この機会に少しチャレンジしてみようと思う。

 そこで休日に、おすすめの音楽の曲名や演奏家の名前を思い出そうとしたところ、すっかり忘れてしまっている。しっかり心に刻んだはずなのに、歳のせいか忘れっぽくなったのだろうか。

 しかし、ほんの一瞬だけ、同じ方が「おいしい」と言っていたアイスクリームの銘柄は、不思議なほどしっかりと覚えているのだ。

 自分自身にとって、最もインパクトのあったのが、結局アイスなのか。少し情けない気もするが、せめておすすめのアイスだけでも食べておこう、と閉店間際のスーパーに駆け込んで買った。私の子どもの頃からある銘柄で、高級品だと思っていたが、もはやコンビニのアイスとあまり変わらない値段になっている。なんだか得をした気分。ホットコーヒーとセットにして、休日の夜を締めくくった。

94、4月某日 昼ごは、ん?

 3月末に大阪市内で短期の仕事が決まり、週5日のシフトで勤務している。勤務時間の関係で、昼食は15時以降になる。

 始めのうちは、おにぎりを作っていた。しかし、近所においしい弁当屋があるのを教わり、また実食して納得し、2週間後にはなじみの客になってしまった。おにぎりを作るつもりで、冷凍ご飯をたくさん準備していたのだが。

 あちこちに弁当屋がある地域で、500円台とは思えない量と質の昼食である。おまけに、食後のアイスクリームまで食べてしまう。

 ほとんど動かない仕事なので、このままでは間違いなく体重が増える。そこで、毎日合わせて1時間程度、仕事の前後に歩くことにしている。

 昼ごはんと呼ぶには、少し時間帯がずれているが、少し慣れてきて、ちょうどその時刻にお腹が空いてくる。新たな知人も出来て、なかなか楽しい。こうした日々が、少しでも長く続けばいいのだが。

93、3月某日 仕事探しの日々

 3月から月〜金のフルタイムの仕事を見つけて頑張るつもりだった。しかし、なかなかうまくいかない。塾講師として過ごした歳月が長すぎて、他の仕事のスキルがほとんどないので、仕方ないのだろう。年齢的にも難しくなってきたのか、これまで以上に決まらない。短期の仕事すら、不採用が続く。

 このままではまずい、と焦りながらも、それなりに日々のペースが出来てしまう。午前中にスマホで求人情報を検索。時には応募。午後2時過ぎに外出し、散歩したり、公園に行ったりする。それから図書館へ。エラリー・クイーンの推理小説にはまっていて、テラス席で読む。

 午前中に応募した求人関係の電話が、たまにかかってくる。テラス席は私の他に誰もいないことが多いので、短いやり取りなら、なんとかなる。

 ああ、今日もうまくいかなかったなあ、などと就活の不首尾を振り返りながら帰宅。読書が楽しかったのが、せめてもの慰めか。近況の報告を、と先輩や友人に連絡を取ろうとするが、仕事が決まらないために引け目を感じてしまい、心配をかけてはいけないという思いもあり、やめておく。

 夕食後も求人情報を検索するのだが、だんだん眠くなってくる。このまま決まらなければ、どうなるのだろう、と考えてしまい、気持ちが落ち込んでくる。もう今日は諦めて、また明日、頑張ろう。気分転換にコーヒーを飲む。土日になれば、就活を少し休んでもいいような気がして、ホッとひと息。状況は何一つ、好転していないのだが。

 不本意ながら、そうした日々に慣れつつある。3月中には、なんとか働き始めたいものだ。

 探している仕事の条件は、以下の通り。そもそも条件をつけていることが、見つからない原因かもしれない。

 ①日払い可 ②交通費があまりかからない
 ③土日休み ④用事がある日に休みやすい

92、3月11日 震災の記憶

 本日、東日本大震災で犠牲になった方々の13回忌を迎えた。一つの大切な節目になるだろう。謹んでご冥福をお祈り申し上げます。

 あの日、八尾市内の古い建物の2階にいた私は、ゆったりとした船揺れのような違和感を覚えて、揺れてませんか、と職場の方々に伝えた。

 揺れはなかなか収まらず、念のため皆で外に出ることになった。もっと古かった隣の建物からは、中で改装をしていた職人が、気持ち悪い、と叫びながら、飛び出してきた。

 どこかで地震かな、と考えているうちに、不思議なことが起こった。その場に集まっていた人々が皆、山の向こうの同じ方角を眺めて、立ち尽くしている。誰も何も言わない。日常からかけ離れた何かが起こったことを、感じていたのかもしれない。

 それは、せいぜい30秒ほどの間に過ぎなかったが、今でも印象に残っている。視線の彼方には、ちょうど東北地方が位置していた。単なる偶然なのか、あるいは人間の持つ不可思議な力によるものなのか、いまだに分からない。

 阪神淡路大震災の時は、京都にいた。正社員として働いていた20代後半の私は、単身者向けのマンションの5階で布団を頭からかぶり、初めて経験する揺れの中、ひたすら怯えていた。

 どうにか出勤して、新聞社だったので紙面を作っていたが、昼食時に食堂のテレビを見て高速道路が横倒しになっているのを知り、これは大変なことになった、と初めて気づいた。このことから、私が新聞記者には向いていなかったのがよく分かる。版下を作る裏方のポジションを、どうにか務めている日々だった。 

 記者が被災地で撮った写真が、集まってくる。若かった私は少し悔しくて、よし、せめてボランティアに行こう、と決めた。

 早速、学生時代の友人と梅田で待ち合わせをして、どこかのボランティアチームに参加する予定を立てた。しかし、寝過ごした私は集合時間に大幅に遅れてしまい、参加できなくなってしまった。まだ携帯電話すら持っていない頃で、連絡の取りようがない。

 結局、友人は一人でチームに参加して、15キロもの道のりを歩いて、無事に物資を届け、役目を果たした。私がそれを知ったのは、翌日だった。
 一方、3時間ほど遅れてようやく梅田に着いた私は、悔やんでいた。少しでも被災地の方々の役に立ちたい、という純粋な気持ちが足りなかった。だから、こんなことになってしまった。言い出しっぺの私が参加せず、友人はきっと呆れているだろう。これで友人にもしものことがあったら、どうすればいいのか。

 背中のリュックには、使い捨てカイロが百個入っている。ボランティアチームに参加していれば、しかるべき場所に届けることができたはずだ。だが、私はどこへ行けばいいのか。とりあえず西宮北口まで阪急に乗り、そこからはひたすら歩くしかない。目的地もないのに。いっそ、もう帰ろうか、と思った。

 パンを買い、私は半ばやけ気味で食べた。食べ終えると、被災地のことが気になってきた。悩んだ末に、やっぱり行こう、と決めた。私のカイロは、あまり役に立たないかもしれない。だが、ここで引き返したら、きっと後悔するだろう。いや、それよりも友人に顔向けができない。

 ようやく私は、被災地へ向かった。芦屋に知っている寺院があり、そこを目的地にする。カイロを受け取ってもらえるかもしれない。途中、小さな、忘れられたような公園で休んでいると、ブランコの所に子犬が2匹、つながれているのが見えた。そのうちの1匹が、必死に私を呼んでいる。

 2匹とも、ひどく痩せていた。迎えに来るからね、とブランコにつないだ飼い主が、事情により来られなくなったのだろう。とりあえず、持っていたパンをやると、すぐに食べ終えた。足りないだろうが、もう何もない。私を呼んだ1匹が、激しく吠えている。放してくれ、ほどいてくれ、そう聞こえた。

 どうしようか、私は悩んだ。犬がいなくなっていると、飼い主は悲しむだろう。だが、つながれたまま死んでしまった犬を見たら、もっと悲しむことになる。ごめんね、と飼い主は泣くだろう。震災でつらい思いをして、その上にまた。私には、それが近々起こりうる出来事のように思えた。

 私は、犬の目を見つめた。放して野犬化した犬が、子どもに悪さをしないとも限らない。犬は必死だ。そんなことするわけないだろう、と言いたげにひたすら吠える。

 結局、私は2匹の子犬を放した。飼い主に会えるといいな、と願いながら。私に掛け合った1匹は、痩せ衰えた体でさっそうと走り出し、もう1匹は悲しげに座り込んだ。数日前まで、2匹とも飼い主に可愛がられて、楽しい日々を送っていたのだろう。

 私の選択が正しかったのかどうか、やはりいまだに分からない。だが、あの時は私なりに最善を尽くし、そうするほかなかった。

 公園を出て、私は再び歩き始めた。途中、母子連れを見かけたので、カイロを差し出すといくつか受け取ってもらえた。残りは無事に芦屋の寺院に届けることができた。ちょうど救援物資を配っていたので、それに加えてもらったのである。

 ほっとひと息つくと、心身ともに疲れが出て、急に帰りたくなってきた。意気地のない自分が情けなかった。私は座り込んだほうの子犬のようだ、と思った。
 あれから四半世紀が過ぎたが、勇ましいもう1匹の犬にはなれそうにない。

91、2月某日 空き缶当番の謎

 3月からの仕事を求めて、新たな派遣会社の登録会、面接に参加する。久しぶりに梅田へ。少し早く着いたので、自販機でコーヒーを買うことにした。

 私には、こだわりが一つある。コーヒーの種類は、甘すぎなければ何でもいい。しかし、譲れない条件として、空き缶入れを設置している自販機であることが挙げられる。

 飲んでホッと一息ついたあとに、空き缶入れを探してあちこち歩かねばならないのが困るからだ。また、飲んでいる最中に、なぜここは空き缶入れを置いていないのか、反則だ、などと考えてしまい落ち着かない。

 捨てる側のマナーの低下が、空き缶入れの減少につながっているのは確かだろう。空き缶以外にも、いろんな物が捨てられてしまうから大変だ。そんなことを考えながら、梅田と中津の間の裏道で、空き缶入れのある自販機を探す。

 3台の自販機を置きながら、空き缶入れを置かないところ。おしゃれな喫茶店の外に置かれた、やはり空き缶入れのない、おしゃれな自販機。普通にポツンと空き缶入れのない自販機。それらをすべてスルーして、ようやく4箇所目で、空き缶入れを置いている自販機を見つけた。しかも、2台の自販機に2つ。

 寒い中、諦めずに探し歩いて良かった。コーヒーを買い、その場で飲んで空き缶を捨てる。なぜか、空き缶入れには「空き缶当番」という言葉が書いてある。しかし、誰それという名前はない。

 登録会の時間は迫っていたが、私は考えた。もしかすると、この辺りの自販機組合(?)が、持ち回りで空き缶入れを管理しているのかもしれない。当番の自販機の所に、空き缶入れを移動するのだ。

 利用者には不便だが、これはこれで一つの方法かもしれない。私自身、実家にいた頃、自宅の前に自販機が置かれていた。空き缶処理を業者に任せる契約と、自分でやる契約とがあったようだ。当然、自分でやるほうがバックマージンがいい。ただ、夏場は臭いがきつくて、嫌な仕事だ。

 当番制にすると、確かに楽だ。だが、よほどのチームワークがないと、うまくいかないような気もする。業者との契約内容、担当する季節、各場所の自販機数の違いなど、いろいろ難しい問題がありそうだ。もちろん、そもそも私の推測が的外れの可能性もある。

 少し慌てて、登録会に向かう。エレベーターに乗りながら、すぐそこのコンビニで買えばよかった、と思った。 

90、2月某日 おまもりとすき焼き

 昨年、講師生活で初めて、おそらく人生で初めて、おまもりを買った。国語教室で担当していた生徒の学力が上がらず、困った末の神仏だのみ。

 そもそも、上がらない理由が分からない。やるべきことをやれば、普通は何らかの成果が出る。そうやって、私は塾講師として生きてきたはずだ。それなのに、なぜ。

 とっかかりすら、つかめないままで月日だけが過ぎていく。このままでは、まずい。間違いなく、入試で国語が足を引っ張るだろう。

 受け取ってもらえるかどうか分からなかったが、私は行きつけの(?)お寺で買ったおまもりを持参した。入試まであと4か月、という時期のことで、正直なところ、もはや手遅れかもしれない、と思った。不合格になったら、どうやって謝ろうか、何度もそう考えていた。

 おまもりは、快く受け取っていただけた。しかし、やはり過去問の得点は容易には上がらない。本人にとっても見守るご家族にも、また私にとっても苦しい日々が続いた。
 それが入試1か月前、なぜか急に正答率が上がってきた。しかも、解き方が日増しに良くなっていく。本当に、ギリギリのところで。

 いけるかもしれない、と私は初めて手ごたえを感じることが出来た。予兆がほぼ皆無の上昇は、長い講師生活で経験したことがない。何か不思議な力を、感じずにはいられなかった。

 結果は合格。本人によると、国語がいちばん出来た、とのこと。私はただ、驚くしかなかった。先生のおかげです、と喜んでいただけて嬉しかったが、少なくとも今回に関してはそう思えない。せめてこの場で、率直に記しておこう。

 なお、この不思議な出来事には、続きがある。つい先日、私は先輩に、学生時代の小さな夢を語った。京都・木屋町の御座敷で、さりげなくすき焼きを食べられるような大人になりたいと思っていた、と。今となっては、実現の難しい夢であるけれど。そんな意味合いがこもっていた。

 しかし、それから3日後。私は首をかしげながら、これまでに見たこともない高級すき焼き肉と対面していた。先述の生徒のご父兄が、合格の内祝いとして、送ってくださった品である。

 私の小さな夢、小さなつぶやきが、どこか不可思議な世界に届いたのかもしれない。何だか申し訳ないような気がするが、白菜も焼豆腐もうどんも、少し奮発したタレもすでに準備OK。
 それでは感謝で「いただきます」。

89、1月某日 勘違いしたアプリ

 2月末まで、新しい仕事をすることになった。出退勤時に、Doremingというアプリで打刻している。ドラミングって、ゴリラのようで面白い。出勤時にウホ、と気合いを入れて打刻、退勤時にもウホで終了。

 ウホウホで、給料入ってウハウハ。なかなか楽しい。そんなふうに考えていた。だが、どうやらドラミングではなくて、ドレミングが正しいようだ。日本語でどういう意味なのか分からないが、システムを開発した会社の名前らしい。新年早々、大きな勘違いである。

 しかし、上には上がいて、ドリーミングと間違えられているようだ。綴りが違うはずだが、もしかすると夢のあるシステムなのだろうか。

88、2023年 元旦 新年の展望

 明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願い申し上げます。

 年末の1週間は、私にしては珍しいほど活動した。月曜日に朝からカレーライスを作り、友人を招く。忘年会と1日遅れのクリスマス。カレーと、友人が買ってきてくれたケーキという組み合わせ。火曜日は京都まで遠征して、友人と年末恒例の回転寿司を食べるイベント。値上がりで、一皿100円の店がほとんどなくなってしまったのが残念だが、なんとか続けていきたい。

 水曜日は奈良で仕事。木曜日は東大阪と奈良で仕事。金曜日は、再び朝からカレーライスを作って友人と食べる。月曜日と違うのは、招いた相手とカレーにタマネギが入っているところ。その友人が帰った直後、先輩から散歩のお誘い。久宝寺緑地へ行き、夕食は拙宅でカレーの残りを一緒に食べる。土曜日はもう31日。掃除と墓参りを済ませ、すっかり忘れていた年賀状を買う。その後、自転車で30分ぐらいのスーパーへ。新年からそこで週に3日、新しい仕事をする予定で、場所の確認である。
 帰宅後、おせちの食材を求めて近所のスーパーへ。全品半額で、食べたかった栗きんとんとだし巻き卵、数の子を買う。3品で1200円ぐらい。蒲鉾を買い忘れたのが、少しだけ心残りである。

 そして迎えた元旦。半額セールの3品と、すでに買ってあった豆とごまめ、餅だけの簡単な雑煮で新年を祝う。自分の好きな物だけ買ったので、おせちを残してしまう心配の要らない、気楽な正月だ。食後、ようやく年賀状を書く。
 午後からは大阪市内に初詣。終了後、ほっとして疲れが出たのか、強烈な睡魔に襲われた。休養が必要な状態だったのだろう。無理はせず、帰宅してゆっくり過ごす。

 頑張れるだけ頑張り、適度に休む。今年はメリハリのある一年を目指そう。
 なお、出稼ぎの塾講師と、その他の仕事は2月末までにして、3月からは何か週5日の仕事を見つける予定。塾講師は引退するが、国語教室だけは、細々と続けていきたい。

87、12月某日 身の回りのこと

 ほとんど服を買わなくなって、もう何年になるだろう。服ばかりではない。カバンも年中、リュックサックだ。それでも特に困ることはないのだが、さすがにズボンは限界が近づいているようだ。2枚のうち、1枚はかなりすり減っていて、間もなく履けなくなるだろう。リュックサックは、チャックの部分が劣化してきて危うい。

 ズボンとカバンをどうするか、買うべきか買わざるべきか。もちろん、特に他人に打ち明けず、勝手に悩んでいた。しかし、そんなある日。不思議にも一人の先輩からズボン、別の先輩からカバンをいただいた。

 ズボンは私がこれまでに履いたことがないほど上等な生地で、1箇所だけ小さな穴が開いているが、アップリケでも貼っておけば大丈夫。サイズは長さがピッタリで、ウエストがほんの少しだけきつい。短時間なら何とかなるぐらい。サイズを調整してもいいのだが、せっかくなのでこの機会に少し痩せたい。

 カバンのほうは、どうやら女性用らしいのだが、そう言われなければ分からない。まだ新しく、落ち着いた茶色で私の好みである。

 それにしても、まさに有り難い、不思議な出来事だ。いただいたズボンとカバンを身につければ、何か新しいことを始められそうな気がする。

86、12月某日 鍋の季節

 昨シーズンは、あまり鍋を食べられなかった。古いカセットコンロの調子が悪くて、うまく点火しないことが多かったのだ。根気よく続けて、どうにか食べられるまで煮込むのに、1時間以上かかってしまう。だから、鍋にはそれなりの覚悟が必要だった。

 ところが、今シーズンは新しいカセットコンロが華々しくデビュー。求人サイトを通して採用された際に、Amazonで買い物ができるチケットをもらったので、それで買った品である。昨シーズンの終わり頃、すでに届いていたのだが、何となくもったいなくて使えなかった。

 どうせならシーズンの初めから使いたい、という私の期待に、コンロは見事に応えてくれた。15分から20分程度で、充分に煮込んだ鍋が食べられる。不本意な昨シーズンを取り返せるだろう。

 ただし、ガスボンベの値段が上がっている。3本のセットが、昨年より100円以上高い。このまま値上がりが続くと、せっかくのコンロが活躍出来なくなるのでは、という不安がある。

 冬の主食が鍋である私には、残念なことだ。なんとか今の値段で踏みとどまってほしい。もっとも、私の鍋の具材を知った友人によると、「それは鍋じゃなくて、おでん」らしい。以来、おでんも鍋の一種だ、と思うことにしている。

85、12月某日 

 今年は毎週日曜に、新しい発見を書いてきたのだが、テスト対策などで忙しかったためか、今回は遅くなってしまった。想定外の出来事が重なり、書く気力が湧いてこなかったこともある。

 早いもので、2022年もあと30日ほどで終わってしまう。新年の目標をどれくらい達成できたのか、チェックしてみる。

①自分のことにとらわれず、日々感謝で世の中の役に立ちそうなことをする

②国語教室と小説を前進させる

③コロナ禍に負けず、友人たちとの連絡を密にする

 およそ以上の3点を年頭に掲げたのだが、ほとんど忘れていた。まず、①については目覚ましい成果はあげられなかった。感謝の心を大切にする努力は、ある程度できたような気もする。

 ②は、約100枚の「龍神様の願い」と5枚程度のショートショート「さんかくのつぶやき」を書いた。前者は思案の末、今月10日締め切りの太宰治賞に応募することにした。後者は先月、船岡山文学賞に応募したばかり。もう少しコンスタントに書けるようにしたい。国語教室のほうは久しぶりに中学入試に携わる経験をして、いろいろ考えたり学んだりすることができた。今後に活かせるように努力したい。

 ③は、私にしては頑張ることができたと思う。誰にも会わずに過ごす休日や空き時間が、例年よりも少なかった。これは2、3年前からの傾向で、来年もさらにパワーアップして継続したい。相手のいることなので、私の都合だけではどうにもならないが、工夫して頑張ろう。

 以上である。少し採点が甘いかもしれないが、個人的には悪くない一年。あと30日、目標に向かって取り組んでいこう。

84、11月某日 つぎはぎの1週間

 週明けの最初の洗濯で、排水ホースがかなり老朽化していることに気づいた。フローリングの床が、水浸しに。在宅している時で良かった。

 拭き取って、ホースはビニールテープで応急処置。損傷が甚だしく、補修したというよりテープで新たなホースを作った感じになってしまった。よく今まで気づかずに洗濯していたものだな、と我ながら呆れた。購入してから5年半を経過している洗濯機だが、まだまだ頑張ってほしい。

 それから何度か洗濯したが、床が水浸しになることはなく、少しだけ伝ってきてたまる程度だ。空き缶で受けておけば、何とかなる。いつまでもつか、不安ではあるが。

 それにしても洗濯機の排水ホースは、どこに売っているのだろう。コーナンに行ってみたが、延長ホースしか見当たらなかった。電器屋さんにあるのだろうか。近いうちに行くことにしよう。

 そして週末。今度は自転車の後輪がパンクした。少し前に、タイヤを替えたばかりなのに。特に何かが刺さっていたわけではなく、タイヤのゴムとチューブとの摩擦によるらしい。パンクが続くようならチューブ交換ですね、と言われてびっくりした。なぜ、替えたばかりの後輪がそんな目に遭わねばならないのか。もしかして、不良品だったのか。そんな苛立ちがわいてきた。あるいは、チューブと外側のタイヤとの相性が良くなかったのだろうか。

 修理代は990円。手持ちが千円しかなかったので、ギリギリである。それにしても、高い。700円ぐらいかな、と思っていたのだが。チューブ交換なら、3千円もするそうだ。少し前に5千円払って交換したばかりのタイヤ。意地でもチューブ交換はしないぞ。そう決意しながら、少しゆっくり運転する。

 つぎはぎに始まり、つぎはぎで終わった1週間。何だか妙に疲れた。

83、11月某日 ショートショートの頃

 2500字ほどの作品が無事に仕上がり、京都の文学賞に応募した。ショートショートを書くのは、本当に久しぶりだ。苦戦した書式設定も、何とかなった。無料で使っていて文句は言えないが、私にはOpen Officeは難しい。

 中学生の頃、ショートショートの第一人者だった星新一の作品を読み、味わったことのない爽快な読後感を体験した。すっかり魅了された私は高校、大学時代に星さんが選者のコンテストに何度も応募した。入選して、選評をいただいた時は不遜にも作家への一歩を踏み出したような気がした。

 1998年、30代になっていた私は、星さんの訃報を知り、葬儀に行こうと思い立ち、呼ばれもしないのに東京まで赴いた。開始の時刻もろくに知らず、3時間ほど前に着いたのを覚えている。式場をうろついていると、関係者と間違われ、棺の安置された場所に案内された。

 こんな所に入っていいのだろうか、出て行くべきではないか、と落ち着かず、ためらっているうちに開式が迫ってきて、重々しい扉が閉められた。今さら退場するわけにもいかない。ファン代表、ということでご勘弁を、と開き直るしかなかった。

 結局、私は星さんに献花したばかりか、小松左京や筒井康隆といった憧れの作家による弔辞を、その場で聞くことが出来た。
 それからしばらくの間は創作意欲に燃え、学生時代に星さんからいただいた選評を無駄にはしない、と誓ったのだが、仕事やさまざまなことがうまくいかない時期で、やがて気持ちがしぼんでしまった。あれからもう、20年以上の歳月が流れている。

 つい先日、塾の定期テスト対策で、人工知能に関する論説文をやった。教科書に載っているその文章の中に、星さんが少しだけ出てくる。今の中学生は星さんのことをあまり知らない。それが、私には残念である。だが、自分の好みを押し付けるわけにもいかない。
 生徒がプリントの問題を解いている間、星さんの作品に出会い、星さんにお別れするまでの出来事を振り返る。そして、そうした思い出があることを嬉しく思うのである。

82、11月某日 三角点の物語

「龍神様の願い」という小説を9月に書き上げ、応募できそうなコンテストが見つからないまま、今日に至っている。新たに京都の短い物語を書く予定だったが、取りかかれないまま11月になってしまった。

 原稿用紙5〜10枚程度、というのが、先輩から教わったコンテストの規定枚数。京都を舞台にした作品、ということで、書いてみよう、と思ったのが夏。まだまだ時間がある、とのんびり構えているうちに、締め切りまで残り10日となってしまった。

 学生時代を過ごした京都だが、今回の舞台はあまり知らない場所。慌ててネットや本で調べる。こんなことで書けるのだろうか、と不安だったが、設置されている三角点の写真を見て、ストーリーが浮かんできた。何がきっかけになるのか、分からないものだ。

 締め切りまでに仕上げて、応募しよう。だが、久しぶりに小説のためにパソコンを使って、書式設定がうまくいかない。行間が広くて、設定通りの行数にならない。まあ、締め切りまでには何とかなるだろう。

81、10月某日 久しぶりの連休

 久しぶりに連休になった。基本的に休日は日曜だけで、他の曜日は午前中のみ肉体労働だったり、夕方以降2〜4時間くらい国語講師の業務だけだったり、それらのダブルワークだったりする。1日の労働時間は長くないのだが、なかなか連休にならない。

 楽しみにしていた連休だったが、始まってみると初日は朝寝坊、予習、久しぶりの掃除、洗濯、後任が見つかって10月いっぱいで退くことになった授業の引き継ぎ事項のまとめ、食事などで、すぐに午後3時になってしまった。

 その後、図書館への返却期限が明日までの長編『冷たい校舎の時は止まる』(辻村深月)を読み始める。はまってしまい、あっという間に1時間が経過。スーパー銭湯にでも行くか、とこの日初めて外に出る。

 途中、銭湯の費用を夕食に充てれば、すき焼きが食べられる、と気づいた。スーパーはスーパーでも、業務スーパーに行き先を変更。3桁でお買い得の牛肉と白菜を買う。連休は3ヶ月ぶりだが、すき焼きはもっと久しぶりだ。タレだけは買い置きがある。いつお肉がくるの、と一人で待ちぼうけ状態の特売品。

 すき焼きの後は、ひたすら読書。深夜1時に読み終えた。締め切りに追われるような気分の読書である。
 深夜に深月、そんなキャッチフレーズが浮かんできた。この作家の作品は、私のようなおっさんから中高生まで、幅広く楽しめるだろう。個人的には、ここ数年間に読んだすべての本の中で、『かがみの孤城』がベストである。

 現在、連休最終日の昼前。とりあえず、図書館に本を返しに行く予定。初日と最終日しかない連休だが、やはりいいものである。

80、10月某日 おいしい後片付け

 3、4年ぶりにビールを少しだけ飲んだ。アルコール類が苦手な私が、珍しく居酒屋の個室で2時間ほど過ごした。7人掛けのテーブルを3人で利用するという、贅沢なひととき。場所も店の入り口付近で、奥まった閉鎖的な空間に抵抗を感じてしまう私には、ありがたかった。その後、同じメンバーで先輩宅での2次会に参加。
 1、2次会とも、すっかりご馳走になってしまった。居酒屋の勘定を少し払ったぐらい。給料前だったので、大変助かった。

 先輩宅へは、スーパーで買い物をしてからお邪魔した。いろいろ話しているうちに時間が過ぎて、辞去したのは23時ごろ。居酒屋を出たのが19時だったので、たっぷり4時間である。後片付けはすべて、先輩が引き受けてくださった。

 さて翌日。先輩宅の冷蔵庫に3人分のモンブランが忘れられていることが分かった。先輩と電話で相談して、私が片付けに行くことに。おいしい後片付けだ。甘党の私は上機嫌でモンブランをいただき、1時間ほどお邪魔して所用のため帰宅した。何だか申し訳ない、有意義な楽しい2日間であった。
 コンビニスイーツが評判になっている昨今だが、スーパーも負けていない。そんな意外な発見もあった。これからは、コロナに感染しないように気をつけながら、出来ればいろいろ楽しみたい。

79、10月某日 待ったなし

 夏の終わりに、出稼ぎの奈良の集団指導塾に辞意を伝えていたのだが、代わりの講師が見つかった、とのこと。今月いっぱいで、週3コマのうちの2コマが終了となる。残りの1コマも、年内で終了の予定。

 仕事を探すのを、急がねばならない。現在、午前中は商品仕分けのアルバイトをしている。午後以降は塾関連の慣れ親しんだ仕事。
 生活面を考え、この際、集団指導は引退することに決めた。20代の終わり頃から関わってきた世界だが、悔いはない。むしろ、このまま続けているほうが悔いが残りそうな気がする。午後以降は、他の仕事を見つけるつもり。

 生活と両立させて、1日に少しずつ、決まった時間に小説を書く。これを目標に掲げていきたい。個別対応のわが国語教室は、何とか細々と継続を目指す。

 時間をうまく使うことの難しさを、痛感する昨今である。昔に比べれば、私なりに少しマシになってきたようだが、まだまだ工夫が必要なのだろう。待ったなしの正念場を、一つ一つの物事をおろそかにせず、楽しく頑張っていこう。

78、10月某日 年間五千円のタワマン生活

 期限切れ間近のハルカス展望台の入場引換券を、無事に使い切ることが出来た。2度目の登頂は晴天で、遠景もじっくり眺められた。

 椅子に座って、図書館で借りた『逆ソクラテス』を読む。展望台での読書の快適さに、私にはタワマンは必要ない、と思ってしまった。もちろん、入居出来る甲斐性などないのだが。

 ハルカス展望台の年間パスポートを買えば、いつでもタワマン気分、タワマン以上の景観が味わえる。擬似タワマンだ。年パスは五千円ぐらい。

 買うべきかどうか、迷っている。年パスはその値段でも、天王寺までの交通費が毎回千円近くかかってしまう。行く前は、高いところから景色を眺めても仕方ない、とあまり気が進まなかったのに。まさか年パスが欲しくなるとは思わなかった。

  2時間ほど展望台で過ごし、16階まで降りてきて、感覚が麻痺していることに気づいた。外を眺めても、高さをほとんど感じない。少し怖くなり、私のような環境に影響されやすい人間は、年パスを持たないほうがいいのではないか、と思った。
 タワマンにも、縁がないほうがいいのだろう。交通費の千円をためらっている現状では、擬似タワマンへの入居資格もなさそうだ。

 それにしても、ハルカス展望台を密かに「ハル展」と略したり、「擬似タワマン」と名づけたりしているのは、私だけなのだろうか。他にもそんな方がいれば、一緒に行ってみたいと思うのだが、残念ながらもう入場引換券はない。

77、10月某日 3度目の正直

 ようやくハルカス展望台に行ってきた。2度の予定が流れ、3度目の正直である。引換券を下さった方と一緒に。

 10月上旬までの期限内に、何とか2枚の券を使えて良かった。そう思っていた。しかし、16階の受付で同行者は年間パスポートを提示した。チケットなど、必要ないのだ。

 当然、私は1枚しか使えず、残りの1枚で近日中に再訪しなければならない。せっかくいただいたので、無駄にしたくない。思惑通りにいかず、少し悩みながら展望台へのエレベーターに乗る。

 雷雨だ。遠景はまったく見えない。どうも私は、ハルカス展望台との相性が良くないのかもしれない。それでも、眼下の街の眺めは圧巻で、遠景が見えないぶん、かえって落ち着いて眺められた。年間パスポートを持つ常連の同行者のおかげで、雨に濡れない席でゆっくり過ごす。

 展望台のチケットのお礼に、少し上等そうな最中を渡す。食べようとして、組み立て式だったことに気づく。完成品のほうが良かったです、とのこと。もちろん私もそう思った。雷雨のハルカス展望台で、最中を組み立てる謎の男たち。通報されても、文句は言えない。最中の餡は、怪しげなビニール袋に入っている。

 苦し紛れに、上等な最中は組み立て式なんですよ、と伝える。じゃあ、虎屋はどうなるんですか、と尋ねられた。おそらく、虎屋の最中は完成品なのだろう。あれは上等すぎるんです、とごまかしたが、そうすると地球上に存在する最中の大半は、上等品になってしまう。地球上、と考えるところが、いかにも下界を見下ろす展望台らしい。

 晴れると、かなり遠くまで見える、とのこと。残った引換券を、晴れの日に一人で使おう、と決めた。近日中に、4度目のハルカスアタックを行う予定。無事に登頂できればいいのだが。エレベーターまでたどり着ければ、あとは45秒で地上300メートルの別世界となる。

76、9月某日 それてこそ

 先輩と、恩智神社付近から山に入る。しばらく行くと細い脇道があり、その道を登ると、見晴らしの良い場所に出た。展望台だが、椅子とテーブルがいくつかあるだけ。あまり人も通らない。

 先輩と私は、何度かその場所で休憩して、時を過ごしたことがある。今回はちょうど台風一過の秋晴れ、急に涼しくなった快適な日だった。

 時折、ガサガサと物音がする。熊だったらどうしよう、と不安になるが、どうやら柿の実をつけた枝が、折れて落ちる音らしい。それで登ってきた道が柿だらけだったのか、と気づく。

 野趣にあふれる眺望は、脇道にそれてこそ、である。良い眺めに会話も弾み、季節の移り変わりを感じることも出来て、楽しい時間だった。

 脇道ならではの眺めと、万人に愛されるハルカス展望台からの眺め。どちらかいいか比べるのはくだらない。3度目の正直で、明日、そのハルカス展望台に行く予定。結局、2枚の入場引換券を下さった方と行くことになった。

75、9月某日 ギリギリの中で

 ハルカス展望台の入場引換券が2枚ある。7月にいただいたもので、なかなか使えずに10月上旬の期限が迫ってきた。

 8月に一度、友人と行く予定を立てたが、コロナが増えて断念。本日、再度チャレンジの予定だったが、台風の影響を懸念して中止。

 このまま行けずにチケットが期限切れになってしまえば、もう行く機会はないのではないか、と追い詰められている。これが最後のチャンスなのだ。自腹では、決して行くまい。

 1枚なら、一人で適当な日時に行けばいいのだが、2枚となるとそう簡単にはいかない。友人の都合もある。
 最後の手段として、一人で2回行くこともできるが、残り20日ほどの期間で展望台に2度赴くことになる。天王寺にあまり行かない私には難しい。
 また、もし一人で行ってしまうと、2度目も一人にならざるを得ない。チケットは2枚なのだから。

 こんなふうに考えていると、なかなか踏ん切りがつかない。期限ギリギリよりも、余裕を見て9月中には使ってしまいたい。何らかの理由で、また中止になるかもしれないし、早めがいい。

 チケット一つで、いろいろ考えてしまう。チケットに限らず、さまざまな物事がギリギリの中で生きている昨今のような気がする。追い詰められず、心の余裕を持っていたい。

74、9月某日 ようやく完成

 3月から書いていた小説が仕上がった。半年もかかるとは思わなかった。龍神様の物語である。

 2章までは2ヶ月で進み、続きもすぐに出来るだろうと思っていた。3章と4章を書いて完成の予定だったが、欲張ったのがいけなかったのだろう。3章で終えることに決めて、ようやく進めることが出来た。それぞれの作品にふさわしい分量というのが、あるのかもしれない。

 書いているうちに、拙作を読んでくださる方が何人か増えた。交友関係の広くない私にしては、珍しいことである。

 最終チェックをして特に問題なければ、完成である。題名は「龍神様の願い」、内容は①龍神様の願い、②龍神様の女房、③龍神様の昇天という3章で構成されている。約100枚の作品で、私にしては多い。

 何人かの方に読んでいただいて、懲りずにまた、文学賞に応募するのだろう。これからも、生活のための仕事をしながら、少しずつ書いていこう。次は、京都の街が舞台の話を書く予定。

73、9月某日 赤とんぼの季節

 電車では、隣に人が座ると立つ。コロナ禍よりも前からの習慣である。そのため、乗車時にそれなりに席が埋まっている場合には、始めから立つことになる。

 以上の法則に従って立っていると、いきなり羽音が聞こえてきた。電車の中では、聞いたことのない大きな羽音だ。赤とんぼが、私の寄りかかったドアにぶつかって、パニックになっている。どこかから、うっかり乗ってしまったのだろう。準急なので、布施までドアは開かない。

 布施までの辛抱だ。落ち着いて、待て。ドアが開いたら、降りればいい。そう念じながら赤とんぼを見つめていると、不思議なことに静かになった。赤とんぼは、私の足元付近の位置で、ドアにとまっている。

 まさか、通じたのか。そんな馬鹿な。しかし、赤とんぼはじっとしている。行儀よく布施に着くのを待っている。しばらくして「布施〜布施〜」のアナウンス。

 その声に驚いたのか、赤とんぼは再びパニックになってしまった。ドアや窓にぶつかりながら辺りを飛び回り、降車ドアから離れた窓にとまった。もう少しだったのに。赤とんぼは布施で降りられないだろう。誰かが、あの窓を開けてやらなければ、きっと終点の上本町まで行くのだろう。

 残念がっているうちに、もう少しで私自身が乗り越すところだった。布施で乗り換えるため、慌てて下車。危なかった。

 赤とんぼがどこから乗ったのか知らないが、布施でも上本町でも、異郷であることに変わりはないだろう。そして、もう故郷には帰れないのだ。

 同じ日、自転車で停車した際に、赤とんぼの死骸を見つけた。もちろん、電車の中にいた赤とんぼとは、赤の他人に違いない。
 猛暑の夏が去りつつあり、もの悲しい赤とんぼの季節である。秋の風物詩というよりも、夏の挽歌を感じさせる。

 急にスイカが食べたくなり、半額のサイコロ状のものを買う。年々、スイカを食べる量が減っているような気がする。
 考えてみると、このスイカが今夏初めてのスイカである。大きめのカップに入っていて、なかなか食べきれない。ちょうど書き始めた頃に食べ始めたのだが、まだ数切れ残っている。
 夕食はパンだったが、スイカで腹がパンパンになった。

72、8月某日 仕事の効率について

 最近になって、私の仕事の効率の悪さが気になってきた。自宅からかなり離れた塾に出勤して、1コマだけ授業をして帰る日もしばしばある。そこで試しに、1週間分の仕事に関わる移動時間と授業時間を比べてみることにした。

 この1週間は月曜から土曜まで奈良で授業があり、移動時間は約780分、1日平均で2時間10分ぐらい。それに対して夏期講習の授業時間は680分、1日平均で2時間もない。うーん、時給の私には効率が悪すぎる。

 しかし、実はこれでもマシなほうなのだ。夏期講習の前半には、1コマ目と2コマ目の間が4時間ぐらい空く日が4、5日あり、この上なく効率が悪かった。長い塾講師生活で、こんなことは初めてである。やむなくスーパー銭湯に行った。回数券を1枚もらったのと、ソフトクリームが安くておいしかったのが救いである。銭湯を出ると、もう帰りたくなったけれど。

 仕事の場所について見直す必要がある、とつくづく思った。夏期講習が終わり新学期が始まると、状況はもっとひどくなってしまう。週4日で移動に600分、授業が560分。やはり移動のほうが多い。長年携わってきた仕事が出来るのはありがたいが、考えどころである。もう少し何とかしなければ、生活に支障が出てしまう。もっとも、今に始まったことではないが。

71、8月某日 お盆のOBPと恐怖の秋

 塾の夏期講習はお盆休みがあったが、午前中のアルバイトには特になく、お盆も日曜以外は少しだけ働いていた。小説の続きを書くつもりだったが、予習や友人との約束や墓参など、いろいろすることがあり、あまり進まなかった。

 そのお盆の最中に、大阪ビジネスパークで、仕事で知り合った友人と謎の月例ミーティング。毎月難波で行われていたのだが、今月は変更になった。1年ぶりのツインタワーは、ビルの1階と2階の休憩場所が南国風になっていて、お盆のためか人が少なくて静かだった。椅子に座ると、快適で寝そうになる。

 久しぶりにIMPのマクドナルドに入り、驚く。ハンバーガーに、いろいろトッピングして注文できる機械が置いてある。友人はそれを当然のように操り、おすすめの品を私の分まで注文してくれた。ここでもまた、ご馳走になってしまった。先日、別の友人に回転寿司を奢ってもらったばかりだというのに。

 普通のハンバーガーにトマトを2枚乗せるのが、いいらしい。確かにおいしかった。少しパサパサしているハンバーガーが、トマトを挟むだけで生まれ変わる。「2枚がポイントですよ」とのこと。サラダとゼロコーラもセットで、健康に良さそうな夕食だった。ハンバーガーにトマト2枚、ぜひ覚えておこう。

 これで朝まで何も食べなければ痩せますよ、と言われたので、別れた直後のミニストップのソフトクリームは辛抱した。しかし、まだ17時30分。電車に揺られていると、急にうどんが食べたくなり、スーパーで買う。私には劇的なダイエットは無理だろう。

 それでも、午前中のアルバイトで体を動かすので、3か月でベルトの穴一つぐらいは痩せた。頑張って続ければ、もう一つぶんぐらいは、何とかなるかもしれない。しかし最近、ご飯がおいしく感じられて、つい食べすぎてしまうので困る。真夏にこれでは、秋が怖い。

70、8月某日 季節外れの年中行事

 年末に一緒に回転寿司を食べる友人と、難波で会った。盆休みのためか予想以上の人出で、コロナ感染を恐れた私は、店に入るのをためらい、どこかの公園で弁当か豚まんを食べよう、と主張した。プライベートで感染するのは避けたい。

 しかし、友人はそれなりに客のいる店の奥に、平気で入っていく。後に続かず、私は外で待つことにした。しばらくすると、友人が出てきてくれた。
 コロナの多い時期にはなるべく外食をしない。隣に人が座っているような、混雑した店には行かない。店の奥の席は避け、出入り口の近くにしか座らない。そうした考えの私と一緒に食事をする友人は気の毒だが、やむを得ない。

 しばらく歩いて、以上の条件を満たしていた回転寿司屋に入る。しかし、いつまで条件が満たされているか分からないので、つい早めの食事になってしまう。

 そもそも、回転寿司は年末恒例の行事だったはずだ。外で551の豚まんを食べるほうが安全なのに。席に着いても、私は少し後悔していた。友人は友人で、私があまりにもコロナを恐れすぎているのが気にくわない様子だった。

 私が必要以上に過敏にコロナを恐れるのは、罹患したら仕事に行けなくなってしまうからだ。時給の仕事を掛け持ちしている私にとって、それは死活問題である。だから、電車でマスクをしていない人が近くにいれば、即座に移動している。

 海外では、マスクをしていない人が多いらしい。それを人間のあるべき姿のように伝えて、日本はなあ、とため息をつくのは、私はおかしな話だと思う。予防したほうがいいのは確かなのだから、皆で協力して予防に努める社会を、もっと誇りに感じてもいいのではないだろうか。

 マスクについては、いろんな考えの人がいるので、あまり多くを語らないほうがいいだろう。私のような「ガチマスク勢」もいれば、顎マスク、ノーマスク勢もいる。ただ、ガチマスク勢からすれば、他のマスク勢は迷惑だと感じてしまう。電車で隣には座られたくない。相手が呼吸をしていなければ問題はないのだが、それはそれで、別の恐ろしさがあるだろう。

 心優しい学生時代からの友人は、黙々と食べ続ける私を持て余しながらも特に何も言わず、旅行のお土産をくれた。そればかりか、この日の回転寿司を奢ってくれた。わざわざ大阪まで出てきてもらったので、本来なら私が食事代をもたねばならないのだが。

 いつの日か、回らない寿司をお返ししたい、と思う。しかしこの調子では、私のお通夜で妹や弟が私の友人たちに寿司桶を取り寄せてくれるまで、無理かもしれない。まさに命懸け、最初で最後の回らない寿司の大盤振る舞いである。棺桶の前の寿司桶で、つい私もつまみたくなるかもしれない。

 棺桶の前の寿司桶うらめしや

 そんな川柳が浮かんできた。どこかで見たことのある作品のような気もする。もう一つ。

 回らぬ寿司 回り続ける走馬灯

 季節外れの年中行事の後は、なんばパークスの9階で休憩。自販機で飲料を買い、しばらく歓談する。周囲に壁のない木の床に座り込むと、熱帯夜ではあるが、心地よい夜風が吹いてきた。
 コロナ禍や厳しい社会状況にもかかわらず、こうして気心の知れた友人と会い、さまざまな話が出来るのはありがたいことだ、とつくづく思った。

69、8月某日 2度目の後輪交換

 現在の自転車に乗り始めてから、早いもので5年半になる。歴代の酷使した愛車に、それぞれ名前を付けているのだが、どれも「チャーリー○号」で、○の中の数字だけが異なる。普通のママチャリばかりだ。

 つい先日、5年半で2回目の後輪交換を行なった。パンクしたままでも、しばらく乗れるのではないか、という考えは甘く、ちょっとした段差でもタイヤが滑ってしまう。危うく、何度か転びそうになった。

 出勤時は何とか無事に乗りこなしたが、帰路は自宅までたどり着く自信がなくて、職場付近の自転車屋さんに駆け込む。15分ほどで交換完了。雨の日にはあまり効かなくなるブレーキも、換えてもらった。合わせて5千円の出費は痛かったが、転倒や事故を回避できた、と思えば安い。そう割り切るしかない。

 タイヤが新しくなっただけで、乗り心地が全く違う。どこまで乗れるか、というおかしな実験にこだわらなくて本当に良かった。

68、7月某日 越せなかった夏

「夏は越せませんか」
「ちょっと厳しいと思います」
 時間の問題だな、と思いながら、自転車屋さんで空気を入れてもらったのが昨日。余命宣告を受け、後輪の交換を勧められた。

 そして本日、市内の図書館をはしごした帰路、後輪がパンクした。しかし、その時は気づかず、むしろ前輪に違和感があったような気がして、前輪の異常なしを確認しただけで済ませた。
 夜、買い物に出かけた際に乗り、後輪だったと分かったのだが、すでに近所の自転車屋さんは閉店している。

 午前中の仕事に行くために、明日からまた、片道20分ほど自転車に乗らねばならないのだが、どうすればいいのか。2、3日なら、ゆっくり走れば何とかなりそうな気もするが、なるべく早くタイヤを交換するしかないだろう。
 余命宣告から、あまりにも早い最期である。夏を越すどころではなかった。自転車屋さんの勧めに、素直に従っておくべきだった。

67、7月某日 逆シンデレラの日々

『逆ソクラテス』(伊坂幸太郎)を読みたいと思いながら、読めずにいる。まだまだ予約が詰まっているためか、なかなか図書館の開架に並ばない。買えばいいのだが、別に急いで読む必要もないので、漫然と待ち続けている。

 一方、私の最近の生活を振り返ってみると、まるで「逆シンデレラ」のようだ。シンデレラは夜中の12時までに帰らねばならないが、私は昼の12時で仕事を終えて帰り、夕方以降の塾講師に備えねばならない。
 また、シンデレラは靴を片方だけ落としていったが、私は作業用の安全靴を、当然だが左右ともにロッカーに残して帰る。
 さらに、シンデレラは可憐な女性だが、私はただのオッサンに過ぎない。シンデレラのカボチャは見事な馬車に変わったが、私の頭はカボチャのままだ。
 そして何よりも、シンデレラには追いかけてくれた王子様がいるが、私には誰もいない。いたらいたで、困るけれども。
 こうして、私は逆シンデレラの日々を送っている。そして、その発見を誰にも伝えず、密かに面白く感じている。

66、7月某日 ハルカスからスカイツリーに

 本日は友人とハルカス展望台に行く予定だった。しかし、大阪府のコロナの新規感染者数が1日1万人を超えたため、中止にした。頂いたチケットの期限はまだ先なので、無理をして行く必要もない。

 それでも、行けなくなると残念で、代わりにスカイツリーの特集を読む。少し前に、読売中高生新聞に掲載されていた記事だ。特徴的なフロアについてまとめてあり、初めて知ったことが多い。

 記事を用いて、いくつかのクイズを作る。長年やってきたことだが、手ごろなテーマが見つかるのか、うまく作成できるのか、少しどきどきする。数年前まで、主に夕刊の記事を題材にしていた。しかし、夕刊が薄くなり、読み物も減ってしまったため、やむを得ず中高生新聞を購読し始めたのである。

 女子高生向けの、ファッションに関する記事や、イケメンの芸能人など、私にとっては縁のない記事も多々あるが、特集が分かりやすくて重宝している。連載の漫画の続きも楽しみだ。

 記事の見出しもよく工夫されている。その見出しをクイズにした一問。

(問)スカイツリーの足元に広がっているのは何。

 ヒント
 ○○(漢字2字)の○ャ○○○(カタカナ5字)


(答)

 鋼鉄のジャングル

65、7月某日 謎の月例行事

 仕事で知り合った方と、5月から月に一度、難波周辺でお会いしている。男2人の月例ミーティングだ。申し訳ないことに毎回、コーヒーをご馳走になっている。

 今回はコーヒーばかりか、ハルカス展望台に無料で入れるチケットと、珍しい絵葉書も頂戴した。チケットは2枚あり、特に一緒に行く相手のいない私は少し戸惑う。表情に出たのを見抜かれたようで、2回行ってください、と言われてしまった。

 せっかくのチケットを有効期限までに使えなければ申し訳ない。そこで、これもまた月例の、遠足に利用させてもらうことにした。こちらのほうは高校時代の同級生と2、3人で月に一度、近場の公園や植物園などを訪れている。

 ちょうど7月の目的地を決めかねているところだった。参加予定の1人が来られなくなり、頂いた2枚のチケットを使える状況となる。7月の遠足は、ハルカス展望台に決定。ただし、当日までに大阪府の一日のコロナ感染者数が1万人を超えたら中止にする。

 2年前ほど前、一日100人ほどの感染者数で、拙宅での食事会を断念したのを思い出す。圧力鍋でカレーを作る予定だったが、何か目に見えない圧力に負けて中止。それから考えると、図太くなったものだ。引き続き感染防止に努めながら、楽しめる範囲でいろいろ楽しみたい。

64、7月某日 蜃気楼の向こう側

 国語教室7月のカレンダーは、大阪ビジネスパーク(OBP)のビルを撮影したもの。都会の蜃気楼を感じさせる一枚。

 1年前、OBPで働いていた私は、コロナ感染を避けるため、真夏に外のベンチで昼食のパンとおにぎりを食べていた。暑かったこと、初めての仕事に戸惑っていたこと、鳩や雀にパンのかけらをあげたことなど、4ヶ月に満たない期間だったが、いくつかの思い出が残っている。

 思えば、蜃気楼のような仕事だった。数十人が集まって、一定の期間が過ぎると撤収。私にしては珍しく、1日に8時間以上、働いた日々である。しかしその後、しばらくの間は心身ともに疲れ、あまり何も出来ない状態に陥ってしまった。不向きな仕事だったのだろう。

 そうした失敗を通して、私はまた塾講師に戻り、午前中だけ別のアルバイトをして生計を立てることになった。
 試行錯誤を続けているうちに、蜃気楼の向こう側にたどり着いたような気がする。

63、6月某日 政策の影響

 この1週間は期末テスト対策で忙しく、あまり書くことがない日々。久しぶりに、日本語講師をしている友人と電話で話したぐらいか。

 政府による入国緩和で、少しずつ日本語学校にも新入生が増えつつあるらしい。それはいい傾向なのだが、問題は入学時期にずれが生じる生徒が何人も集まってしまうことである。

 教えるほうからすれば、やりにくい。進度や理解度はバラバラで、何とか少し揃ったと思えば、また新しい生徒が入ってくる。その繰り返しだ。

 日本語学校は、政策の影響をまともに受けてしまう。一方で、塾講師という私の仕事は、目に見えにくいかたちで受けているのかもしれない。 

62、6月某日 電子図書館への誘い

 先週、借りたい本が近くの図書館に置いていなかったので、やむなくあまり行かない図書館まで出向いた。その際、入り口で電子図書館に関する説明会の案内をもらった。

 図書館の職員さんが、いろいろ教えてくれるらしい。少し迷ったが、これも何かの縁かもしれない、と参加を決めた。

 そこで本日、行ってきたのだが、大変分かりやすく、ためになる説明会で、楽しい1時間だった。さまざまな電子図書のほか、数百万曲のクラッシックが無料で聴けたり、ブリタニカ百科事典を検索して、プリントアウトも出来たりする。国会図書館の資料も読めて、出典を明記すれば無料で使える画像もある。画像は、絵葉書に出来るかもしれない。

 クラッシックをはじめ音楽には疎いが、この機会に聴いてみようと思った。まずはピアノ曲から始めたい。
 無料で始めた趣味が高じて、分不相応なステレオが欲しくなると、「ただほど高いものはない」ということになってしまう。そうならない程度に楽しみたい。

61、6月某日 偶然に励まされ

 国語の問題集に掲載されている物語は、ほとんどの場合、一場面に過ぎない。それでは物足りないので、なるべく図書館で借りて通読することにしている。そして、その本を授業に持参して得意げに見せびらかす。

 大人げないかもしれないが、そうすれば、単に問題を解くだけではなく、物語の全体像が生徒に伝わる。そして、書物に興味を持つ生徒が少しは増えるのではないか、と思っている。

 今回借りた本は、8つの物語の中から、問題集に掲載されている物語を探す必要があった。それぞれの題名からは分からない。まあ、後でゆっくり探そう、と貸出期限の紙を挟んでおく。

 すると、紙を挟んだ場所がまさに、探していた物語が始まるページだった。大げさかもしれないが、何か目に見えない力に応援されているようで、嬉しくなった。思わぬ偶然に励まされた。

 その翌日、友人と長居植物園に行った。現地集合のはずが、ちょうどホームから階段を降りたところで、うまい具合に出くわした。乗る予定ではなかった、一本早い電車に乗ったために起きた出来事である。これもまた、好ましい偶然だった。
 もう一人の友人が参加出来なくなり、延期するかどうか悩んだ末、予定通り実施したのだが、それで良かったのだろう。そんなふうに思えた。

60、6月某日 青の街で

 国語教室の6月のカレンダーは、アジサイ。上本町駅の近くで撮影した写真だが、歩道に沿って、たくさんのアジサイが咲いている様子に驚いた。花の青は建物の壁面に溶け込み、その一帯が「青の街」と表現できそうだ。

 周辺を取り巻く空気まで青っぽく感じられ、写真を撮った。少し色調を調整したが、梅雨の午後らしい物憂げな一枚で、気に入っている。

 今年の6月は、別の花を撮ってみたい。次週、植物園に行く予定。小雨決行、荒天の場合は中止である。基本的に、花より団子なのだが。

59、5月某日 ワクチンで再会

 40歳未満お断り、という大人の味わいのアストラゼネカを接種してから半年。3回目のゼネカを打てる場所は見つからず、モデルナに。昨夜、その接種を終えた。

 会場の体育館は、空いていた。予約が簡単に取れるようになり、大阪ではモデルナでさえ余っているらしい。軽い先端恐怖症で注射が苦手な私だが、ほとんど貸切状態のVIP待遇で迎えられると、悪い気はしない。声をかけられるたびに、少し偉そうに頷きながら進む。

 書類のチェックのところで、知り合いが立っていた。会場案内の仕事をしているらしい。およそ3年ぶりの再会。コロナで会えなくなっていた人々が、ワクチンを打って再び集まる、というケースは多いだろう。だが、接種直前に会場で再会、というのは珍しいのではないか。

 おかげで少し愉快な気持ちになり、接種は無事に終了した。これが最後のワクチン接種になるといいな、と思った。

 ゼネカの1回目は発熱し、先輩に解熱剤をいただいたのだが、2回目は何ともなかった。3回目で初めて打ったモデルナは、19時間が経過した現在、発熱もなく順調である。接種箇所に少し、痛みがあるぐらい。接種前の肩こりが治ったような気もするが、これは特に関係ないだろう。

 政府の方針で、今後はノーマスクの人が増えていくだろう。遅めの3回目だが、臆病な私にはちょうど良い時期だったのかもしれない。
 ただ、学校の教室で授業中にノーマスクを推奨するのは、個人的には行き過ぎだと思う。政治の中枢にいる人々は、現在の日本の学校で、授業が静粛に行われているかどうか、知るべきだろう。

58、5月某日 雨漏りでクリーニング

 ある日、押し入れで雨漏り。布団のすぐそばに直径15センチぐらいの円形の水たまりが出来ていた。布団に水滴がかかっていたのかどうかは不明。とりあえず、スマホで記念撮影した。

 それから2ヶ月後に、何とかしなければいけないのではないか、とようやく気づき、先輩に相談し、マンションの管理事務所に伝えたところ、すぐに業者がやって来た。私の部屋は最上階なので、屋上の工事が始まり、2、3日で終了した。

 被害状況を聞かれて、布団一式、と答える。クリーニングを希望すると、料金はすべて負担してくれる、とのこと。大きなチャンスだ、と押し入れ内の毛布、マット、敷布団、掛け布団、枕など、寝具すべてを出すことにした。

 浮かれていた私は、クリーニング期間中にどうやって寝ればいいのか、考えるのを忘れていた。管理会社に「布団がないんです」と慌てて電話をする。工事担当の業者が、布団セットを持ってきてくれることになり、助かった。

 枕が変わると眠れなくなるのではないか、と心配していたのだが、新品の布団セットは快適で、私の使い古しの布団とは比べものにならない。敷布団は薄いが、特に苦にならず安眠の日々である。

 私の布団のほうは、傷みがひどくてクリーニング屋さんが扱いに困っているのか、料金がなかなか決まらないらしい。クリーニングに出してから、明日でちょうど10日目になる。戻ってきた時には、どんな姿になっているだろうか。掛け布団だけは、実家にあった上等の品なので、楽しみである。

57、5月某日 粘りのiPad

 長い間、iPadを触っていなかった。バッテリーを交換しない限り起動できないだろうと諦め、机の隅で埋もれたまま1年あまり。

 ジャンク品として売ることにするか、と調べたところ、買取価格は良くて2千円くらいだった。最後に一度だけ試してみよう、と充電してみると、見事に100%になり、時間が経ってもその状態を保てる様子。意外なしぶとさに驚き、同時に期待が高まってくる。

 これは、普通に中古のiPadとして、もっと高値で売れるのでは。すぐにその道のプロのような先輩に相談して、良さそうな店を教えていただいた。善(?)は急げで、30分後には店に着き、買取を希望し、iPadを預けて査定を待つ身となった。

 提示された買取価格は、およそ1万7千円。5千円ぐらいあるといいな、という私の予想を大きく上回っていた。ジャンク品としてリサイクルショップに持ち込んでいたら、大損するところだった。もっとも、手にした臨時収入の大半は、さまざまな支払いで右から左へ消えていくのだが、あるとないでは大違いだ。

 諦めずに充電してみて良かった。私も時には充電して、諦めずに頑張ろうと思った。土俵際で驚異の粘りを見せたiPadのように、しぶとく。

56、5月某日 ゴールデンウィークの打ち上げ

 ゴールデンウィークを楽しめるほど、普段から仕事をしているわけではないのだが、後先のことを忘れて楽しんでしまった。

 久宝寺緑地のシャクヤク園、大阪城公園を別の日に別の友人と訪れる。シャクヤクの花が予想よりもかなり大きいことに驚き、大阪城公園で食べたカレー弁当の辛さと旨さに、またびっくり。

 最終日の本日は、友人と草野球の試合を見た。職場のチーム同士の対戦らしい。どっちもがんばれ、と適当に応援し、いいプレイには拍手する。帰る頃にはバッティングセンターに行きたくなり、自転車で20分の場所に向かった。私の子どもの頃からあるセンターで、実に久しぶりにバットを手にする。よし、ゴールデンウィークの打ち上げだ、と気合いを入れて打席に向かう。

 外のストライクゾーンって、こんなに広かったかな、と戸惑っているうちに4、5球。かすりもしない。それどころかバットが届きそうにない。ここでようやく、立つ位置を間違えていたことに気づく。

 結局、友人は4ゲーム(100球)をこなし、尻上がりに良い打球を飛ばしていた。私は2ゲームで脚が痛くなり終了。振り遅れが多かった。

 しかし、久しぶりのバッティングセンターは楽しくて、また行こう、という話になった。帰り際に、孫と一緒に来ていたおじいさんが、私たちより速い105kmのボールを右へ左へ打ち分けているのを見て、少し恥ずかしくなった。次回はもう少し快音を響かせたいものだ。 

55、5月某日 鳩たちの会話

 国語教室5月のカレンダーは、大阪城公園の鳩。何となく緊張感が漂う会話をしている2羽の様子が面白い。前にいる鳩が「今日の予定は」と、後ろの秘書に尋ねている。「11時から天守閣で会議ですね」と、間髪を入れずに答える秘書。朝の一場面である。

 自宅のベランダに住んでいる7、8羽の鳩もいろいろ会話しているようだ。「今日はどこへ行く」「球場はどうかな」「試合があると、食べかすが落ちているかも」などと、早朝からやかましい。そうした会話の後に出かけて、昼間はいないことが多い。いや、ちゃんと留守番の鳩が1、2羽いる。いつも同じ鳩なのか、シフト制なのかは不明。

 夕方の帰宅と同時に、まずは居場所争いが起こる。なぜか窓の付近が人気で、その場所を巡って数羽がバタバタと飛び回る。争いがあまりに派手になると、リーダーがたしなめているようだ。その時間帯はまだ目が見えるのだろう。私が窓に顔を近づけたり、指でガラスを突いたりすると逃げる。

 夜になるともう見えないのか、ガラス越しにちょっかいをかけても、ほとんど知らん顔である。窓を開ければ、さすがに逃げていくだろうが、せっかくつかんだ居場所を手放すことになるのも気の毒なので、開けない。

もう少し特徴があれば、それぞれの鳩の違いが分かって楽しいのだが、全く区別がつかない。とりあえず、窓付近を勝ち取った鳩に「ウインどん」という名前をつけることにしよう。

54、4月某日 風変わりな物語

 3月に短い、風変わりな物語を書いた。原稿用紙で35枚ぐらい。日ごろお世話になっている先輩に読んでいただいたところ、意外に好評だった。励まされて、4月はその続編を作成していた。

 同じように30枚程度で仕上がったが、やはり変な物語だ。1作目が「龍神様の願い」、2作目は「龍神様の女房?」という題。龍神様の祠を放り出し、ふと気がつけば借金だらけの主人公と、もはや何のご利益も与えるつもりのない怒れる龍神様、主人公を更生させようとする弁天様、その使者の天女らが登場する。

 これまでに何度か、仕事を辞めて小説を書いていた時期がある。しかし、その時に気合いを入れて仕上げた作品は、振り返ってみると、どれもひどい。

 私の場合、適度に仕事をしながら少しずつ書くほうが合っているのだろう。それに、そうたびたび仕事に就いたり辞めたりを繰り返していると、生活が出来なくなってしまう。死ぬまで一人暮らしは仕方ないとしても、暮らせるだけの備えは必要だ。

 乏しい文才を頼りに、細々と続けている創作活動。それを第一の目標にしている限り、私の人生もまた、風変わりな物語が続くのだろう。

53、4月某日 ある日の読書

 小学生の授業中、国語の問題に関連して、「おすすめの本」というテーマで短い文章を書いてもらった。いずれも、私が読んだことのない本である。読んでみよう、と市内の図書館を3ヶ所回り、マンガを除く4冊をすべて借りることが出来た。

 まずは『あるかしら書店』。大人が読んでも、充分に楽しめる絵本だ。むしろ、子どもには分かりにくいところもあるだろう。イラストも、思わず笑ってしまう。

 2冊目は『ふしぎ駄菓子屋 銭天堂』。おすすめの「怪盗ロールパン」を読む。結末は予想通りだが、面白い。読後にパンが食べたくなり、買い置きの食パンをそのままかじった。

 3冊目は『なぜ僕らは働くのか』。この本を中高生の頃に読んでいれば、私の人生は変わっていたかもしれない。いや、今からでも遅くはないはず。そんな思いを抱かせるほど、素晴らしい本だ。

 最後は『小学校がなくなる!』。作者と同じように、母校や通学中の学校が統廃合された体験をした人は多いだろう。悲しい物語ではあるが、子どもたちの行動に勇気づけられる。

 以上の4冊には、読書の多様な味わいが詰まっている。日常から抜け出したシュールな世界、叶えられる変身願望、将来への温かいメッセージ、現実に立ち向かう行動力とノスタルジー。

 複雑なしがらみや現実を突き抜けたクリアな世界が、子どもたちの書物には広がっている。私も何か、そうした世界を書いてみたいと思った。
 良い本をすすめてくれた生徒たちに、感謝の休日である。

52、4月某日 藤原京でひと休み②

 春期講習の最終日、再び藤原京を訪れた。桜はまだ満開で、平日の夕方だったが、それなりの人出。心地よさに眠りそうになったところで、バババ、という低い音がした。ドローンである。

 もっと静かに浮かんでいるものだと思っていた。ドローンは、立入禁止の菜の花畑に侵入している。飛び入りはいいのだろうか。街の公園では無理なので、藤原京でやるのだろう。あんなおもちゃのようなリモコンで、どこまで操作できるのか気になった。

 菜の花畑のドローンに驚いた4日後の夜、平常授業までに時間があったので、また藤原京へ。名残りの夜桜見物を、と思った。ライトアップされた桜と菜の花を、私は思い描いていた。
 しかし、到着して驚いた。真っ暗で何も見えない。菜の花畑もベンチも、すっかり闇の中だ。ライトアップどころではない。1メートル先すら見えないのだ。何とかたどり着いた街灯付近の桜を見れば、ほぼ完全に散っている。もちろん、辺りには誰もいない。

 今年の桜も終わりか、と少し寂しい気持ちで夜の藤原京を後にした。ふと、菜の花はいつまで咲いているのだろう、と思った。

51、4月某日 藤原京でひと休み

 春期講習の空き時間に、藤原京を訪ねた。菜の花畑の黄色と桜の淡いピンク、遠景の山の重なりが美しい。

 一面の菜の花と桜を、ベンチに座って眺めているうちに眠くなり、1時間近く寝てしまった。夕方6時ぐらいになると、さすがに気温が下がってきて、寒さで目覚めた。授業まで、まだかなり時間がある。

 ベンチで少しだけ休憩して天香久山に登るつもりだったのだが、すっかり予定が狂ってしまった。それでも、眠る前よりも心身ともにすっきりしている。少し疲れていたのだろう。

適度に休むことも必要な年齢になってきたのかもしれない。しかし、そう言えるほど仕事をしていないような気もする。

50、3月某日 大和三山その①耳成山

 春期講習が始まって、耳成山付近の塾に行く日々が続いている。先日、空き時間に耳成山の周りを歩いてみた。平日の夕方で、ほとんど誰もいない。

 30年以上前に朝もやの中で見た集落の面影はなく、きれいな住宅が並んでいる。思い出の中にしか存在しない風景は、きっとあちこちにあるのだろう。

 少し残念だったが、まだ時間があるので耳成山に登ってみた。コースは整備されていて、傾斜も緩やかで歩きやすい。15分もかからず、頂上らしい神社に着いた。

 知らない場所を散策するたびに、10年前の失敗を思い出す。初めて訪れる和泉市の教室に、張り切っていた私は3時間前に到着した。さすがに早すぎるので、散歩に出かけたのだが、そこで迷子になってしまった。

 さまよい歩いて、授業の30分前になっても現在地すら分からない。ガラケーだったので、調べることも出来ない。また、現在地が分かったところで、私の知らない地名に変わりはないのだ。パニック状態の私に、教室長から電話がかかってきた。

「今どこですか」と尋ねられて近くにコンビニがあることや、付近の様子を伝えた。
「そのコンビニで待っていてください。迎えに行きます」
 そう告げられて、電話は切れた。結局、教室長の車に拾われた私が、教室に到着したのは授業の始まる5分前。3時間も前に来ていながら、危うく遅刻するところ。そればかりか、教室長に迷惑をかけてしまった。

 それからしばらくの間、私は初めて訪れる教室の周辺を散策することは控えていた。だが、迷子未遂でヒヤリとした体験が、和泉市の教室だけで数回ある。それを思うと、私はやはり、懲りずにあちこちを散策していたのだろう。

 耳成山の頂上の神社で、迷子にならず無事に教室に戻れますように、と願いつつ、下りは初めて歩く別のルートにした。そのほうが早いと思ったのだ。私は少し急がねばならなかった。40分後には授業が始まる。

49、3月某日 久しぶりの英語

 今月から、先輩の塾で英語も担当している。教えるのは6、7年ぶりだが、テキストがよくできていて、何とかなりそうだ。

 初めて塾で英語を担当したのは、20代の終わりだった。塾用のテキストの内容が充実していることに驚き、生徒として通塾した経験のない私は、反則だ、と腹を立てたのを覚えている。

 文法の反復、単語テストの管理や再テストの実施が煩雑で、私は自ら積極的に英語を教えることは避けてきた。決して嫌いな科目ではないのだが、時間割や塾側の都合で、やむなく担当した場合が多い。

 英語を教えれば、もっと仕事が増えるのは分かっている。友人からも、しばしば忠告されている。だが、できれば国語だけ教えていたい、と考えてしまう。

 高校時代、隣の市にある教会の宣教師が、英会話をボランティアで教えてくれた。私はキリスト教徒ではなかったが、2年ほど通っていた。よくパーティーが開かれ、皆で持ち寄ったお菓子を食べた。

 私はいつも食べるだけで、特に何も持参しなかった。ある時、母にその話をすると、「持っていき」と大きな袋に入ったチョコレートをくれた。

 次のパーティーが開かれる日、私はそれを持参した。しかし、宣教師にどう言って渡そうか、と考え込んでしまい、チョコレートがだんだん重荷になり、結局渡せないまま途中でパーティーを抜け出して帰ってしまった。

 そのことを知った母に叱られ、根性なし、となじられて、以来、私はその教会に英会話を習いに行くのをやめた。私が英語を担当するのを避けてきたのは、この他にも英語にまつわる体験に、あまりいい思い出がなかったからかもしれない。

 その科目に関わる、どのような体験をしたか。講師にとっても生徒にとっても、それは大切なことだと思う。だから私は国語を楽しみ、国語教室の生徒が楽しく学べるようにしたい。

48、3月某日 さまざまな影響

 金属の歯が抜けて、歯医者に通い始めた。治療にかけられる予算を担当の先生にお伝えして、その範囲内でお任せ。寿司屋のコースのようだが、私は回っている所しか行かないので、よく分からない。

 部分的にレントゲンを撮る。口に含む物が気持ち悪くて、何度か吐き出した。仕方ない、全体の撮影をしようか、という話になったが、費用は10倍近くかかるらしい。不思議なもので、それを聞くと吐き出さずに辛抱できた。

 担当の先生から、ウクライナ侵攻の影響で、治療に必要なパラジウムの値段が4割も上がっている、という話を聞く。長引けばつぶれる歯医者も出てくるだろう、とのこと。パラジウムに限らず、他の金属や食材などにも影響が出ているようだ。

 歯は、普通に金属の物を入れ直す予定だった。しかし、レントゲンの後で抜けた周囲をきれいにしたところ、土台となるべき箇所が割れていることが分かった。前のような治療はできず、完全に抜歯した後にインプラント、ブリッジと、もう一つの方法がある、と教えてもらった。インプラントはあまりに高くて、笑ってしまった。

 大なり中なり小なり、どれも予算オーバーだが、抜いた後に放置、という選択肢もあるらしい。10年以上、そのままでも大丈夫な場合もあれば、数年で隣の歯が傾いてきて、その治療は保険外で大変、という場合もあり、人それぞれらしい。歯を一本抜く影響も、それなりに大きいのだろう。家の柱に例える人もいる。

 当面は放置して、年に数回、経過観察のために歯医者に行く、というプランはどうか。先生に相談してみよう、と考えている。歯科医の立場からは、決して勧められない選択肢だろう。

47、3月某日 卒業の記念に

 国語教室の中3生が本日、卒業する。記念に何か、と考えてマグカップにした。私自身、高校を卒業した時に後輩からもらったマグカップを現在、歯磨き用に使っている。しまい込んだまま長年忘れていて、5年前の引っ越しの時に発掘した物である。

 今回の記念品のデザインは、窓の外にいる鳩の写真。少し分かりにくくなってしまったが、まずまずの仕上がり具合だ。一つだけ作ったので、私の分はない。まだ卒業するわけにもいかないので、仕方ない。

 マグカップの中に箱入りのチョコレートを入れる予定だった。しかし、サイズを間違えて入らない。仕方なく別に添えておいた。

46、2月某日 観梅の日に

 友人と、大阪城公園の梅林に行った。梅を見ながら、ウクライナの状況が気になって、その話ばかり。一段落して、ふと気がつけば帰りの坂道を登りながら梅林を見渡していた。

 そっけない観梅に、友人は「もういいのか」と驚いていたが、正直なところ梅を見ている気分ではなかった。自分から友人を誘っておいて、身勝手なものである。一方で、こうして梅を眺めることができるのは平和のおかげ、と感じていた。

 広島と長崎の原爆による悲惨さが、今日の世界で核兵器の使用を避ける要因になっている、と友人は語った。なっていた、という過去形にならないよう、願うしかない。来年も、そしてその後も、平和な空の下、大阪城の梅林で春の訪れを感じていたい。
 友人との会話は有意義だったが、例年になく散漫な観梅になってしまった。写真すら撮らなかった。

 その夜、別の友人から電話があった。近況はさておき、やはりウクライナの話が中心になる。10年以上も海外で仕事をしていた彼は、視野が広く物事の判断も現実的で、どちらかというと理想主義寄りの私は学ぶことが多い。

「日本は核兵器を持つべきかどうか、お前はどう思う」
 いきなり尋ねられて、驚いた。昼間の友人も、核兵器の話をしていた。持たなくて済むなら持たないほうがいい、と私は苦し紛れの答えを出した。
 絶対に持ってはいけない、いや、持つべきだ、という両極のどちら側にも入れない。だが、私と同じように戸惑う人も多いのではないだろうか。

 一つでも持てば今度は、その量と質を上げたくなる。ゼロはゼロのままだが、1は1のままでいられることは少ない。「核」差の生み出す危険な平和は、恒久の平和ではあり得ないだろう。核による大きな苦しみ、悲しみを体験した日本が、わざわざ核を抱えてどうするというのだ。
 だが一方で、日本が他国から侵略されないためには核を持つべきだ、という意見もある。私はどちらかといえば前者、友人は後者に近いように思えた。そこで、対立を避けて論点をずらしてみることにした。

 ロシアによるウクライナ侵攻という出来事は、日本も核を、という意見が増えるきっかけになるかもしれない。でも、賛成か反対かを国民投票で問われるようなことは、生きているうちにはないと思う。そう伝えると、友人は否定した。変化はすぐそこまで来ている、と言う。

 好むと好まざると、私たちは時代の変化の中にいる。そのことを、改めて感じさせられる一日だった。
 マスク越しに漂ってくる梅の香と、日々ふりだしのような私の人生は、変わらずに昔のままであるけれども。

45、2月某日 右手にスマホ、左手に本

 奈良に出稼ぎに行く日々が続く。授業の時間より、電車や徒歩で移動している時間のほうが長い日も多く、効率は良くない。
 しかし、奈良が好きな私は、交通費を使わずに奈良へ行けるというだけで、それなりに喜べる。また、電車もあまり混まず、たいていは座れる。ゆっくり読書タイムのはずが、スマホゲームになってしまう日もある。

 それにしても、今の子どもたちはゲームの誘惑と戦いながら本を読まねばならないので、大変である。さまざまな工夫を凝らして楽しませるゲームは、人々の読書の時間を減らしている。私自身、そうなりがちで困ってしまう。

 読書には読書の、ゲームにはゲームの面白さがあり、一概には言えないが、何となく方向性が逆のような気がする。読書は他者の出来事を眺めながらも自身の内面に向かわざるを得ず、ゲームは本来なら自身とは無関係な外の世界に連れ出される。

 ゲームはその世界に飽きれば、やめて他のゲームを探せばいい。飽きるということは、自身との関係性の薄さに気づくことでもある。
 しかし、読書は飽きることがないだろう。自身の内面は、絶えず不可解な変化を続けるからだ。人は、その変化と共に生きる。読書に飽きることは、自分自身に飽きることであり、見つめるべき内面から目を背けることだ。

 ゲームの世界は、たいていは誰かから恣意的に与えられた世界だが、読書という、静かに寄り添う刺激によって見つめる自身の内面はそうではない。可塑性と可能性に満ちた小さな宇宙なのである。

 ゲームの世界で遊ぶのは楽しい。しかし読書が大切な営みであることを忘れてはならない。
 右手にスマホ、左手に本を持って近鉄電車の席に座っているおじさんを見かけたら、もしかすると、それは私かもしれない。

44、2月某日 偶然と即興の産物②

 塾講師生活で忘れられない思い出の一つは、やはり偶然と即興が生んだ楽しさである。

 詩の授業をやるとき、私はいつも「皆さんは世界で一番短い詩を知っていますか」と尋ねることにしている。
「10秒で書けます」と宣言して、おもむろにチョークあるいはマジックを手に取る。「え〜」「ほんまに〜」と、たいていの生徒は驚き、カウントダウンを始める子が現れる。

 5秒前まで、私は立ち尽くしたまま何も書かない。教室がざわめき始め、ようやく黒板かホワイトボードの下のほうに「●」を一つだけ書く。

 草野心平の「冬眠」である。誰も文句を言わないのが、この詩のすごいところだ。「●」一つで「冬眠」。生徒は皆、それぞれに納得しているのだろう。

 しかし、これまでに一人だけ挑戦状をたたきつけた生徒がいた。
「先生、俺もっと短い詩、知ってるで」
 ほんまに〜、と驚いた私が叫ぶ。書いてみて、と言うと、彼は小さな「○」を書いた。(●と同じ文字サイズがなくてすみません)

  題を尋ねると、「冬眠失敗」。どうやら、目がパッチリ開いてしまったらしい。○を塗りつぶさなくていいので、確かにこっちのほうが短い。私は降参した。少し悔しかった。

 見事な反撃は胸を打ち、20年ほど前の出来事なのに、私は忘れられずにいる。そればかりか、しばしば授業のネタに使わせてもらっている。
 負けても、ただでは起きないのだ。

43、2月某日 大阪城梅林の売店

 国語教室の2月のカレンダーは大阪城梅林。毎年必ず訪れる場所の一つだ。今年もきっと、早咲きの梅を見に行くのだろう。

 数年前に、梅林内の古めかしい怪しげな売店が明るいローソンに変わった。甘酒と五平餅を買って梅の下で、何かに対して「すみません」と詫びながら食べる。そんな少し背徳めいた個人的な年中行事が出来なくなってしまった。

 梅林内のコンビニで何かを買って食べたところで、それでは日常の延長である。確かに、品数は格段に増えて便利になった。しかし、かつての売店が観梅に添えていた味わいには、到底及ばない。時代の流れとはいえ、残念なことである。

 梅林が主役で、売店はあくまでも目立たない。そんな脇役の矜持と大阪城への畏敬の念が、かつての売店にはあったような気がする。それが私にも伝わって、「すみません」とお詫びして食べる、という一連の流れになっていたのだろう。
 ローソンに変わってから、私はほとんど何も買わず、梅の下で食べることもなくなり、その代わりに写真を撮ることが増えた。

 秀吉の大阪城が地下に眠るように、古めかしい売店の歴史もまた、共に眠るのだろう。明るく便利なコンビニの治世を眺めながら。

42、1月某日 偶然と即興の産物

 他塾への出稼ぎで、国語の過去問の解答・解説をした。音訓を見分ける問題がなかなか難しい。少し時間を割いて、間違えやすい音訓の例をホワイトボードに書く。皆、言われなくてもノートを広げるのが、いかにも入試対策らしい。

 音読みと間違えやすい訓読みを10字ぐらい並べる。書き終えて眺めているうちに、なぜか最後の4文字が気になった。

「路 じ」「野 の」「夜 よ」「身 み」である。つなげてみて、驚いた。「じのよみ(字の読み)」になる。思いがけない偶然が嬉しくて、生徒たちにも伝えたところ、あちこちで笑いが起こり、雰囲気が和らいだ。入試対策にしては、珍しい一コマである。

 こうした偶然や即興の産物は、忘れられない出来事の一つになり得る。

41、1月某日 散髪のごほうび

 久しぶりに散髪。なぜか、散髪するとお腹がすく。髪の毛の分だけ軽くなるのが原因かというと、そうではない。子どもの頃の体験によるものだろう。

 小学生になる頃まで、散髪が大嫌いだった。ある日、そんな私を祖父が引率することになった。祖父は、散髪のあとに寿司屋で巻寿司を食べさせてくれた。おとなしく無事に散髪を済ませたら、お寿司。それが繰り返され、そのおかげで、私は散髪中に泣きわめいたり暴れたりすることがなくなったように思う。

 しかし祖父は、私の両親に内緒で、こほうび作戦を実行していたようだ。ある日、祖父の代わりに引率した父に「今日は巻寿司ないの」と私が尋ねたためにバレてしまった。

 以後、散髪のあとの巻寿司はなくなった。しかし、元に戻って泣いたり暴れたりするのは我ながら恥ずかしく思われて、私は普通に散髪に行けるようになった。

 散髪に行くとお腹がすくのは、あの頃の条件反射が根強く残っているからだろう。もし、あのまま巻寿司のごほうびが続いていたら、散髪屋さんのサインポールを見るとよだれが出てくる、という事態にまで陥っていたかもしれない。

 しかし、そこまで巻寿司が好きだったかと言うと、そうでもない。かんぴょうと椎茸が苦手で、取り除いて食べていた。もったいない話である。

40、1月某日 耳成山の夜明け

 新年から週に1度、仕事で耳成山付近を訪れている。久しぶりに見たのだが、本当に美しい山だ。

 学生時代、ボーイスカウト関係のイベントで、耳成山で夜明けを迎える経験をした。晩秋の朝6時前だった、と記憶している。薄もやが晴れて、古い民家が姿を現していく様子は幻想的で、隣にいた友人も私も、口をきくことができなかった。時を超えて、忽然と村落が出現したようだった。

 耳成山を間近に見るのは、それ以来かもしれない。あの頃に見た夜明けを、私は今も忘れることができない。自然の崇高さと人の暮らしとが触れ合う、口を開けばこぼれ落ちてしまう静寂のひととき。

 耳成山との久しぶりの再会を果たした本年、夜明けにつながるいい1年になりそうな気がする。

39、1月某日 今年の目標

 例年、年頭に1年の目標を立てているような気もするのだが、すぐに忘れてしまう。勝手に立てて、そのまま放っておくのが良くないのだろう。そこで今年は、きちんと書いておくことにした。

①自分の事に執われず、日々感謝で、何か他のためになりそうな事をする。

②国語教室と小説を前進させる。

③コロナ禍に負けず、電話やメールなどで友人たちとの連絡を密にする。

 以上の3つを本年の目標に掲げたい。1年の最後に、取り組みと達成度を検証する予定。忘れたら、すみません。

38、2022年 元旦 新年を祝う1枚

 明けましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

 昨夜、学生時代の友人と2人で回転寿司を食べるという、大晦日の恒例行事を無事に終え、新年を迎えることができた。今年は頑張って小説を書こう。

 国語教室の1月のカレンダーは、大阪城公園の豊国神社で撮った写真。立身出世と和楽安寧を願い、新年を祝す。

37、12月某日 初めてのPayPay

 マイナポイントにつられてPayPayを始めた。2万円入金すれば、5千円もポイントがつく。しかも、近所のスーパーでキャンペーン中で、支払い金額の3割が返ってくるらしい。

 本当かな、とおそるおそる実験したところ、見事に成功。普通に現金で買い物をしていたら損だ、と思った。こうして、情報格差が身近なところでも広がっていくのだろう。スマホデビューからまだ2年足らずという、私のような最新の情報とネット利用に疎い者は、気づかないうちに損をしている。恐ろしい世の中である。

 マイナポイントを得た私は気が大きくなり、国語教室の2022年のカレンダーを作ることにした。卓上用で、表紙を含めて13枚。写真は、すべて今年スマホで撮影したもの。5セットの注文で割安になる。早速、マイナポイントの出番だ。

 ネットで作成してコンビニ払い。いざ支払いの段階で、驚いた。PayPayが使えない。やむなく現金で払ったのだが、PayPayは店やサービスによって使えないことがよくある。それすら知らずに、手放しでPayPayを賞賛し、高揚していた私は、少し自分が恥ずかしかった。便利なことに変わりはないが、使途とセキュリティに気をつけて付き合う必要があるようだ。

 来年は毎週日曜日に「私の発見」を更新し、月初めには国語教室のカレンダーを掲載して、その写真にまつわる思い出を紹介できれば、と考えている。

 ※何かと厳しい社会状況の中、皆様、1年間お疲れ様でした。また拙文にお付き合い下さり、ありがとうございます。来年もどうぞよろしくお願い申し上げます。 

36、12月某日 窓ぎわのポッポちゃん?

 ある朝、ベランダに出ると鳩の雛がいなくなっていた。無事に巣立ち、喜び半分、寂しさ半分、というところ。

 しんみりした気持ちで夜を迎えた。すると、ベランダに面した窓の外に鳩がいる。少し出っ張っている場所で、じっとしている。窓がなければ触れそうなほど近い。だが、開けるとすぐに逃げてしまうだろう。

 窓ガラス越しでも、頭が毛羽だっているのが分かる。巣立ったはずの雛である。時々起きて周りを見回すが、またそのまま寝てしまう。近くに親鳥らしき鳩もいる様子で、安心しているのだろう。

 雛が寝ている場所は、換気扇から30センチぐらいしか離れていない。夕食にガスコンロでラーメンを作ったが、換気扇を回せずに困った。

 朝までそのまま、じっとしているのかもしれない。朝になると、親鳥と一緒に餌を探しに行くので、いなくなるのだろう。留守番の私を残して。

 雛が戻って来て、喜び半分、拍子抜け半分である。昔、独立したはずの私が、いろいろあって再び実家で暮らすことになった時、両親もこんな気持ちだったのかもしれない。 

 ※写真が撮れたので、追加した。頭の毛羽立ちが分かりにくいのが残念。

35、12月某日 自然の掟と人間の営み

 ベランダの鳩の雛が1羽になった。白いほうが死んでしまった。もともと弱そうだったが、もう大きくなったので大丈夫だろう、と安心していた矢先である。 放置するわけにもいかず、袋に入れておいた。

 居住環境から考えて、埋めるのは無理である。仕方なく可燃ゴミで出すことにして、食パンを1枚、一緒に入れて供養に捧げる。少しちぎってベランダにもまいておいた。鳩の仲間たちが食べるだろう。

 その後、残った1羽が成長して、頭のてっぺんが少し毛羽立っている以外は、他の鳩と見分けがつかなくなってきた。それでも、親鳥が来ると雛らしくぴいぴい鳴くのがおもしろい。

 成長した姿を1枚撮ろうとしたら、バタバタ飛んで逃げていく。もう飛べるのだ。驚く私を、すぐ上の屋上から顔をのぞかせて見下ろしていた。まだ長くは飛べないようだが、時間の問題だろう。

 写真は撮れなくなってしまったが、飛んでいる姿を見ることができてよかった。一方で、やはり自然の掟(おきて)は厳しい、と思った。弱い雛は生き残れないのだ。

 人間の営みは、そうした掟に従いながらも挑戦している。しかし、人はしばしば挑戦者であることを忘れ、弱肉強食の掟にすり寄り、掟の執行部の座を求めてやまない。
 こうして、権力の腐敗が繰り返されるのだろう。

34、12月某日 悲しき夕刊、そして国語

 駅の自販機に夕刊を見つけて、久しぶりに買った。以前、私は夕刊のほうが朝刊より好きで、月に何度か買って、楽しんでいた。コラムや特集などが多くて、読みやすい。値段も安く、朝刊1部で夕刊が3部買える。

  そんなことを考えていると、50円だけ投入したはずなのに3部も出てきた。夕刊は、もはや存続の危機を思わせるほど薄くなっていて、トレーに残りが少なくなると、くっついて出てくるようだ。コピー用紙の感覚である。

 夕刊好きの私へのサービスだったのかもしれないが、3部あっても仕方ない。爪切りに使うか、フライパンや鍋の油汚れをとるぐらいだ。迷わず、近くの売店にいた店員に返却する。

 個人的な感想だが、中身も薄くなって、面白い記事が減っている。何とか踏ん張って、楽しみな夕刊の復活を、と願うが、難しいだろう。朝刊でさえ、ネットニュースに圧されて厳しいのではないか。

 何となく、塾の趨勢と似ている。集団指導の新聞チーム対、個別指導のネットニュース。時代はやはり、個別化なのだろう。自由に選び、好きなように組み合わせる。だが、私にはそこに、落とし穴があるように思えてならない。

 選ばれなかった物事の中にも、大切なことが埋もれている。そうした埋没を避けるために、新聞記事は見出しでアピールしてきたのだろう。ネットの中での自由な選択は、一方で埋没を容易にする。個別指導の隆盛の中で、国語や理科や社会が特に心理的な抵抗もなく、選ばれないように。

 個別指導が引き起こす英語と数学の高波に埋没せず、波間から存在感を示せる国語教室を目指したいものである。

33、11月某日 いぶし銀のキラキラネーム

 今回の小説から、ペンネームをきちんと作ることにした。私の本名は、たいていの姓名判断で良くない。かなりひどい、といったほうが正確だろう。一時は改名も考えたほどだ。そんなことを気にせず、まじめに努力すればいい、とも思うが、どうせなら良さそうなペンネームを使いたい。

 思いついた名前を、そのつどネットで無料鑑定する。不思議なことに、私自身が考えたペンネームは、どれも良くない。凶や大凶が優勢になってしまう。私という人間のもつ運命を感じてしまい、気が重くなる。

 残念ながら、自力では良いペンネームが見つからず、途方に暮れた私は、常日頃お世話になっている大阪市内の3箇所のお寺から1文字ずつ頂戴して、漢字3文字の名前を作り出した。わらにもすがる思いである。

 同じようにネットで無料鑑定して、驚いた。どの画数で見ても吉以上だ。私にはもったいない名前なのだろう。いぶし銀の光沢のあるキラキラネーム。その名に恥じないように頑張ってみよう。そうすれば、私の運命も変えられるかもしれない。

 考えてみれば、私の本名は50年以上も前に、8千円でお坊さんにつけてもらった名前だ。本名も出来たてのペンネームも、お寺にご縁があるのは喜ばしいことなのだろう。
 戒名をいただくまで、頑張って新しいペンネームで書く。

32、11月某日 もうすぐ飛べそう

 2週間ほど小説を書いていて、無事に完成。原稿用紙66枚。度重なる落選に負けず、コンテストに応募した。

 その間に、ベランダの鳩の雛が急成長。箱の中がかなり汚れていたので、新しく作り替えた。移そうとしたら、雛は迷惑そうだった。少し羽ばたいて逃げていく。もうすぐ飛べるようになるのだろう。

 雛の抵抗もむなしく、隅っこで捕まえて無事に作業は完了。今度は電子レンジが入っていた箱なので、かなり大きい。きっと親鳥は驚くだろう。深すぎないように、不器用な私があちこち切ったところ、箱がボロボロになってしまった。ホラーハウスだ。

 もう適当な箱はないが、新しいのが必要になる前に、雛はきっと飛び立つだろう。楽しみでもあり、少し寂しくもある。

 そんなふうに考えていると、親鳥がやって来てバタバタと飛び回り、早速、新しい雛のすみかを念入りにチェックしている様子である。

 大きな箱を奮発したのはいいが、後片付けが大変かもしれない。当然、親鳥は手伝ってくれないが、ベランダの子育てに少し協力できて良かった、と思うことにしよう。なお、「31」に2週間ほど前の雛の写真を追加した。比べてみると成長がよく分かる。

31、11月某日 鳩の雛、その後

 ベランダの鳩の雛が、順調に育っている。親鳥も毎日欠かさずやって来る。

 ここで一つ、疑問がわいてきた。果たして、鳩は巣立つのだろうか。ベランダには多い時で7、8羽の鳩が集まっていて、何やら話し合っている様子である。もしかすると、それらの鳩は他人同士ではなく、このベランダで生まれ育った鳩たちなのかもしれない。

 私がこの場所に住んで4年、5年になるが、気づかなかっただけで、雛はしばしばベランダにいて、子育てが繰り返されていた可能性もある。
 そうすると、鳩が世帯主で、私が図体の大きな居候ということになるのだろうか。

 なんか変な子がいるわね、と鳩たちに思われているかもしれない。夜更かしをしていると、鳩が窓をつついて鳴くことがあるが、早く寝なさい、と促されているような気もする。

 ベランダの雛がうまく育っている様子なので、少し迷ったが写真を1枚だけ撮らせてもらった。無事に巣立つのか、住人の鳩が2羽増えることになるのか、楽しみだ。

30、11月某日 点検で発見

 4年に1度のガス漏れ点検。チェックされそうな風呂場は掃除した。しかし、その甲斐なくスルーされ、まさかのベランダへ。

 ベランダには鳩が住み着いている。しばらくの間、放ったらかし。きっと大変なことになっているだろう。しかし、点検後には予想外の知らせがもたらされた。
「雛がいますね。2羽」

 ベランダに出ると、雛が2羽、寄り添い合っている。寒そうだ。とりあえずタオルをかけてみた。何もないよりはマシだろう。軽く覆うと、1羽がピィ、と小さく鳴いたので、人差し指で頭をなでる。

 その後、人間があまり介入すると親鳥が寄り付かなくなるのではないか、と不安になった。タオルを回収したほうがいいか、とベランダに出ると親鳥がいた。タオルを少しずらして、雛を温めている様子である。

 どうやら大丈夫らしい。ホッとして、雛を入れておくための箱を作り、中に新聞紙とタオルを敷く。調子に乗り過ぎかもしれない。しかし、ベランダで寒さのために死なれては困る。雛の存在を知らないままなら仕方ないが、知ってしまった以上、放っておくわけにもいかない。

 いや、しかし。箱に雛を入れたのが原因で、親鳥が来なくなったらどうしよう。寒そうなだけでは死なないだろうが、親鳥に餌を貰えなければ死んでしまう。難しいところである。
 衛生面から考えて、すぐに掃除をしたほうがいいのか、それとも今はそっとしておくべきなのか。思いがけない出来事に、いろいろ考えさせられる晩秋である。 

29、11月某日 誕生日と風船

 久しぶりにLINEのお知らせマークを押してみた。数日前に過ぎていた誕生日に、お祝いのカードを送って下さった方がいて、遅ればせながらお礼を伝える。

 そのカードを見る際、なぜか風船が飛んでいた。どうやら、その風船も誰かが贈って下さったものらしい。贈り主を確認することも出来る。

 カードのほうはお礼を伝えた。さて、風船はどうすればいいのだろう。贈り主の中には音信が数年ぶり、10年ぶりの方もいる。この機会に「お久しぶりです。風船ありがとうございます。また一つ年をとりました」と、こちらから連絡したほうがいいのだろうか。それとも、そうした大げさなことはせずに、感謝で受け流すべきなのか。

 相手がどちらを望んでいるのか、風船一つでいろいろ考えてしまう。SNSを軽やかに使いこなすことは、初心者の私にはまだ難しいようだ。

28、10月某日 いっそ祭りにしてみたら

 選挙の投票日、ある街でちょっと変わったバイトをした。開票のため、体育館に運び込まれる投票箱。私たちは駆け寄って、その箱の上に番号を間違えずに鍵を置く。わずか1時間足らずの間に、100ヶ所近い投票所から3つずつ箱が届くので、それなりに忙しい。

 配置上、国民審査の投票箱が置かれるコーナーが近くて、走るのも楽だ。2人1組で箱が3種類、計6人が割り振られた業務。まず、70代の男性が国民審査のポジションにつく。あと1人、誰か行きたい人は、と聞かれて皆で遠慮し合うが、顔ぶれを見ると私以外は20代、30代の若い男性ばかり。ハイ、と勢いよく挙手して楽をさせてもらった。

 それなのに、少し走っただけで足が痛くなった。散歩は好きで、よく歩いているのだが、走るのは久しぶりだ。70代の男性はマイペースで、ざわめきの中、悠然と歩いている。もちろん、誰もそれをとがめることはない。無理をしてケガでもされたら、大変だ。

 終盤になると、通路はたくさんの人で混雑しはじめた。開票に携わるスタッフである。いよいよ選挙祭りの閉会式が始まる。そんな感じだ。

 いっそ祭りらしく、投票日にはもっといろんなイベントをすればいいのに、と思った。地元出身の芸能人やスポーツ選手を呼んで、街のあちこちでコンサートやトーク、のど自慢大会、地域対抗リレー、サッカー、河内音頭など、何でもいい。当然、屋台や出店も並ぶ。選挙らしく、神輿を担ぐのもありか。
 地域と密着した祭りとして、投票日の楽しい1日が終わる。それらしい取り組みを、すでに始めている街があるかもしれない。

 そうすれば、投票率は上がるだろう。翌日以降に「選挙の思い出」という作文の宿題が学校で出され、困った児童や生徒が私の国語教室に駆け込むかもしれない。

「○月○日、家族みんなで選挙のお祭りに行きました。大きなリンゴ飴を食べました。18歳になったら、私も投票したいです」
 そんな作文を読む日が来るかもしれない。

27、10月某日 令和の日々

 平成の大半を集団指導の塾講師として生きてきた私は、その仕事が年々、先細りになっていく様子を体感してきた。

 とりわけ国語講師の私は、個別指導ではあまり活躍の機会がなく、集団指導にしがみつくか、新しい仕事を見つけるか、という選択に迫られた。そこで、私は後者を選んだ。

 令和の日々は、そんな私にとって発見の日々である。やったことのない仕事にチャレンジし、しばしば失敗ながら新しい体験を得た。
 学童の指導員、工場の原料管理、市役所の事務、学校の事務、お歳暮の仕分け、高校生の模試の採点、コールセンターなど、この3年でさまざまな仕事についた。視野が広がったのは確かだが、決していいことばかりではない。

 いろいろやり過ぎて、ついに心も体も疲れてしまった。とりあえず必要な分を稼ぐ、という考えだけでは長続きしない。そのことに、ようやく思い至った。
 どんな仕事でもこなせるぞ、と鼻を高くするのは間違いだ。私の場合、こなせずに、ごまかすことだけ上手くなり、結局はそんな自分に嫌気がさしてストレスがたまるだけだ。

 やはり、自分の強みを活かす方向で仕事を探すべきだ。それが社会に貢献する一歩になるかもしれない。長く続いた仕事には、それなりの適性と蓄積があるだろう。

 経験の上にあぐらをかかず、さらに状況に合った新しい試みを取り入れていけば、もう一度、慣れ親しんだ仕事に可能性を見出せるかもしれない。

 阪上国語教室でそれを実現し、世の中に少しでも貢献できれば、私の令和の日々は、これから静かに輝くのではないか。そんな希望がある。

26、10月某日 「嫁要らず」と身勝手な期待

 30代後半から40代の初めにかけて、奈良の先輩の塾でお世話になっていた。国語と社会を担当させていただき、いろいろあったが、楽しかった。

 この10月から時々、また伺うことになった。10年以上も前の記憶はあてにならず、駅から徒歩20分ぐらいの道のりで、危うく迷子になりかけた。唯一、はっきり覚えていたのは、スーパーである。

 地元では「嫁要らず」と呼ばれるほど、弁当や惣菜のおいしいスーパーで、当時、独身だった私は、しばしばそこで何か買って腹ごしらえをしてから塾に向かった。

 10年もの歳月が流れ、不本意ながらやはり独身の私は、また「嫁要らず」にお世話になりそう。しかし、この呼び名が今でも使われているのかどうか、分からない。

 食事は妻が作る、という前提で付けられた名であるようで、今日の考え方からすると、差別的な表現、と捉える人もいるかもしれない。

 しかし私は、今でも通用する名であってほしい、と密かに願っている。それが、私の好きな奈良のおおらかさであるような気がする。身勝手な期待であるが。

 いつかは「嫁要らず」を卒業して、私も奈良で新しい生活を営みたい、と思っている。学生時代、思索にふけりながら何度となく散歩した古都で、人生の生きがいを見つめ直すことが出来るかもしれない。これもまた、身勝手な期待である。

25、9月某日 怪しげな宣伝

 当国語教室について、このホームページ以外では特に何の宣伝もしていない。時々、業者から電話がかかってくるが、一切お断り。

 今後も方針に変わりはないが、一度自分で宣伝してみよう、と思い、国語教室のカバンを持って下校時の学校前に立ってみることにした。カバンの中には、教室案内が20セット。出来れば誰かに渡してみたい。

 ところが、学校前に先生が何人もいる。ひるんだ私の後方から、地域パトロールの車が現れた。不審者を見かけたら通報を、とマイクで訴えかけている。しまった、包囲された。私は国語教室のカバンを隠し、出直すことにした。

 別に悪さをしているわけではない、と気を取り直し、今度は自転車で開始。サドルだけ新車だ。かごにカバンを乗せて、教室の名前が目立つようにする。しかし、学校前に行くと、もう誰もいなかった。

 意気消沈する私の後方から、再びパトロールの車がやって来た。慌てて左折。自転車なので逃げ足は速い。だが、露骨に逃げると怪しまれる。
 発想がすでに不審者めいているな、と自嘲しながらまた左折。なぜか、パトロールの車がついて来る。

 マークされてしまったのかもしれない。いや、そんなはずは。少し焦りながら、今度は右折。車はついて来なかった。ひたすら左折を繰り返し、地域を巡回しているのだろう。

 やれやれ、と公園でアイスクリームを食べて終了。宣伝は難しく、チョコ味のクーリッシュがほろ苦い。まあ、機会があればまたやろう、と夕方の風に吹かれて公園をあとにした。

24、9月某日 解熱剤と新たなサドル

 アストラゼネカの1回目を接種したことを、5分後には先輩に報告した。サドルの半壊した自転車に乗りすぎて、お尻をケガしたこともついでに。

 解熱剤がなければあげる、というご厚意に甘えて、翌朝、先輩宅に向かう。私が何の準備もしていなかったのを、見通されていたのかもしれない。お礼に何か買っていこう、と考えていたら、手ぶらで来てね、というLINEが届いた。何でもお見通しである。

 自転車をこぐ手ぶらの私を、なぜか軍手姿の先輩がお出迎え。
「乗らなくなった自転車があるから、サドルを交換したらいい」
 先輩は半壊したサドルを、ほとんど新品の物に付け替えて下さった。その手際の良さとご厚意に、私は驚き、感謝するしかなかった。

 解熱剤もいただき、帰路、生まれ変わった自転車で私は久しぶりに快適なサイクリングを楽しんだ。

 その夜に37.6度まで上がり、解熱剤を服用して就寝。翌日からはほとんど平熱で、接種した肩の痛みが4日間ほど続いた程度だ。どうやら1回目の副反応はそれで済んだらしい。
 お尻のケガは、まだ完治していない。半壊のサドルのままだったら、今ごろ大変なことになっていたかもしれない。とりあえず、尻に火がつくまで行動できない性格を直す必要がありそうだ。

23、9月某日 明日のために

 いろいろ迷っていたが、アストラゼネカの予約が取れたので、明日ワクチンを接種することにした。現状では40歳未満は打てない大人の味である。

 血栓が問題視されているようなので、予約が取れた日からトマトジュースを飲んでいる。役に立つのかどうか分からないが、体には良さそう。

 リスクはあるものの、とりあえず1回打ち、少しの安全を得てしっかり稼ごう。「明日 取る 銭か」である。

22、9月某日 敗北の戦記

 戦っている夢をしばしば見る。私はいつも手ぶらで、武器すら持っていない。無力な民間人なのだろう。

 敵の戦力が圧倒的で、私たちの側に勝ち目はない。街を爆撃され、占領されて逃げ惑うのが毎回、私の役割のようだ。

 新しい仕事を探していて、うまくいかない時に、この夢を見る。そして私は数ヶ月に一度、仕事を探しているので、夢の頻度もやはり同様である。

 たまには勝ちたい、と思うこともある。しかし勝ってしまえば、自分が自分ではなくなりそうな気もする。うまくいかない敗北の日々から、大切な何かを見出すのが、私に課せられた責務なのかもしれない。

 この「日々の発見」が、度重なる失敗にもかかわらず生きながらえている感謝を綴る、敗北のそして不屈の戦記であることを願う。

21、8月某日 お菓子なご縁

 2、3か月前のある日。仕事帰りにいつものスーパーでシュークリームを買った。あまり見かけない外装だったが、何となく気になって買ってしまった。帰宅後、製造元を知って驚いた。ちょうど仕事で関わっている町で作られた物だった。

 私がその町に関わる仕事をしたのは、1か月程度である。そのわずかな期間に、たまたまその町のお菓子を買う、というのは不思議だ。

 そしてつい先ほどのこと。行きつけのスーパーで見つけた栃餅が気になった私は、普段あまり食べないのに買ってしまった。いつ以来の栃餅か、分からない。
 帰宅後、製造元を知った私は少し怖くなった。今まさに仕事で関わっている町で、作られた栃餅だ。

「これ食べて、がんばって」と労ってもらったような気もする。しかし自前なので、「ごちそうさまです」と素直に言えない。複雑な気持ちだ。

 偶然に過ぎないのだろうが、不思議な、「お菓子な」ご縁である。
 コロナ禍が収束すれば、これらの2つの町を訪ねてみよう。良縁がありそうな気がする。

20、8月某日 古都の夢

 京都の夢をしばしば見る。一番心に残っているのは、建都1200年に見た夢。

 1994年の夏、新しいカメラ(中古品だが)を購入したばかりの私は、嬉しくて京都を撮りまくっていた。

 そんなある夜、夢の中で私は四条大橋の上で一人たたずんでいた。辺りは暗く、水面以外は何も見えない。すると突然、激流が押し寄せてきた。橋の上にいる私をも、呑み込む勢いである。

 激流の中には、人の姿が見えた。叫び声をあげて、あっという間に下流へと流されていく。消化活動、という言葉が私の頭に浮かんできた。どうやら鴨川は、古都の消化器官であるらしい。

 流される人々の姿は、しだいに変化していった。ほとんど裸の男、槍、貴族、武士、足軽、鉄砲、馬、洋装の人々。激流がそれらのすべてを押し流した後、鴨川は何事もなかったかのように静かになった。

 ああ古都はこうして平然と、夜ごとに歴史を押し流している。まるで排泄行為のように。私は怖くなった。帰りたい、と思った。もしも鴨川が私を見つければ、瞬時に消化されてしまうだろう。闇の中で、私は息をひそめていた。

 やがて息苦しさに顔を上げると、下流のほうが輝いている。夜明けにはまだ早い。目を凝らすと、小さな白波が見えた。海だった。

 海は押し流されたすべてを包んで、悠々と戻っていく。私は西に向かって歩き始めた。古都の秘密を知った私は、もうこの街にいられない。そんな気がして目が覚めた。

 建都1200年の、忘れられない奇妙な夢である。季節外れの秋雨前線による災害が軽微であることを願いつつ、記す。

19、7月某日 山なのに海

 20年ほど前、長野県で電車に乗った。山の中をゆっくりと走り、トンネルを抜けると一面の野菜畑だったのが印象に残っている。

「海」の字がつく駅名がいくつかあった。「こんなところに海が」と伝えると、同行の人々も不思議がっていた。
 崖の様子も海っぽい。昔は海だったのかもしれない、と考えて、とりあえず当時の私は自分を納得させたのだが、無理がある仮説だった。

 調べてみようと思いながら、そのまま20年も放り出していた。歳月は流れつい先日、読売中高生新聞を読んでいると、長野県の地図と記事の見出しが目についた。

 海から最も遠い駅は「海瀬」

 もしかすると、と記事を読む。おかげで長年の疑問が解決した。昔、八ヶ岳の水蒸気爆発で川がせき止められ、天然のダムが出来た。それが「海」の地名の由来であるらしい。小さな記事だったが、私にとっては大きな発見だった。

 20年前には、海のものとも山のものともつかなかった人生。しかし、一つ一つの発見や経験の積み重ねが、海千山千の私を築き上げたのである。そんなふうに言ってみたいが、実際は20年前とあまり変わらないような気もする。
 人生のなすべき課題が、いまだにうまくこなせない日々である。 

18、7月某日 近くて遠いオリンピック

 東京オリンピックが始まった。時差がなく、寝ている間に競技が終わってしまうこともない。それなのに身近に感じられない。
 日常とは切り離された別の空間で開催される、限られた人たちの祭典。そんな気がして、特に見ることもなく過ごしている。

 しかし、考えてみるとオリンピックとはそういう場ではなかったか。観衆やメディアや広告会社のためにあるのではない。卓越した能力を磨いてきたアスリートたちが力量を試すためにある。

 それを日常の中に引きずり下ろして単なるガス抜きのスポーツ祭にするのか、それとも異質な空間で開かれる神秘的な祭典として奉るのか。おそらく、それらの両極の間をつなぐ存在が大小さまざまなメディアなのだろう。

 東京オリンピックは、今後の方向性を考える一つのきっかけになるのではないか。しかし、あれこれ考えるよりも、楽しめる人は感染対策をしっかりして楽しめばいいと思う。

祭りをうまく楽しめない私のような性分の人は、せいぜい考えることを楽しみましょう。

17、7月某日 夢の記録

 5、6年前から、なるべく夢を記録するようにしている。なぜか、しばしば京都の夢を見る。最初は北のほう(北大路あたり)にいたのに、丸太町、御池、四条と南下していく。それぞれ別々の夢なのに、不思議である。

 数ヶ月前に京都駅を越え、この先どうなるのだろう、と思っていた。
 すると先日、逆に京都に入っていく夢を見た。地図を片手に烏丸七条を少し北へ。そして右折。目的地に何があるのか、分からない。

 途中、壺を作っている工場に立ち寄る。職人が出てきて、私は地図を見せた。行き先はここでいいのか、と尋ねる。目的地に間違いはなかった。通り過ぎないように注意を受け、工場を出たところで目が覚めた。

 妙な夢だったので気にかかり、場所を調べてみた。学生時代の下宿の近くだ。いったい何があるのだろう。何のために壺を作っていたのだろう。そう問いかけながら地図を検索して、耳塚だ、と気づいた。学生時代、耳塚にショックを受けた私は、少しだけ豊臣秀吉の朝鮮出兵について調べたことがある。そして、そのまま30年以上も忘れていた。

 大阪城公園は大阪で一番好きだが、歴史には様々な側面があり、人々の念いがあることを忘れてはならない。鳥たちとパンを食べる前に、せめて祈りを捧げよう、と思った。

16、6月某日 見知らぬ友だち②

 大阪城公園で鳥たちと食べる朝食にも慣れてきた。鳩もスズメも可愛らしいが、圧巻はカラスである。私の座る隣の石にスタンバイして「投げてみろよ」とこちらを見る。

 よし、と少し離れた空中に、ちぎったパンの耳を投げる。カラスは瞬時に飛び立ち、くちばしでうまくキャッチして得意げに着地する。思わず、私は拍手を送る。見事な技だ。

 しかし、少し年寄りのカラスなのか二回が限界のようである。私が喜ぶので、仕方なくやってくれているのかもしれない。

 カラスには連れ合いがいて、ときどき二羽で現れる。パンの耳をくちばしに詰め込んだ一羽が、もう一羽に分け与えている。そんな仲睦まじい様子は、見ていて楽しい。

 朝食タイムが終わるころ、しばしば40代ぐらいの女性が未開封の袋入り食パンを持ってやって来る。たぶん6枚切り。すべて鳥たちに与えるのだろう。パンの耳でお茶を濁し、カラスに芸まで求めてしまう私とは大違いだ。

 いつの日か、サンタクロースのような袋を背負い、中には食パンを詰め込んで、大阪城公園のあちこちで鳥たちを集めてみたい、と思う。

15、6月某日 思い出の百貨店

 大型商業施設の休業要請が緩和されて、リノアスが時短営業で賑わっていた。数年前までは西武百貨店だったが、閉店。八尾の文化の灯火が一つ消えたようで、寂しく感じたのを覚えている。

 その元西武が廃墟にならずに済んだのは、リノアスが入ったおかげだが、私にはなじめないまま今日に至っている。地下と散髪屋さん以外はあまり行かない。

 西武時代には8階で時を過ごした。休憩用の椅子が置いてあり、静かで本を読むにはちょうどいい場所だった。
 1時間以上の利用は控えるように、という紙が貼ってあった。本に夢中になり、しばしばそれを守れないこともあったが、一度も注意されなかった。

 必要以上に飾らないが、おしゃれで文化的な空間。それが八尾の西武だった。私の母は、サンダルで行ける百貨店、と喜んでいた。西武のほうから、河内の風土に歩み寄ってくれたのだろう。

 市民と共に35年もの歳月を刻んで、八尾西武は幕を閉じた。8階では多くの人々が、思い出を綴る最後のイベントに参加した。気軽に何か書くのが苦手だった私は、1週間ほどかけて西武に捧げる詩を作った。内容は今でもよく覚えている。

さ 三十余年前
よ 世はまさにバブルの時代
う うら若き乙女が
な なぜ八尾に、と戸惑いながら
ら ライオンに乗って舞い降りた

せ 青春の歳月は流れ
い 今、河内の貴婦人は去る
ぶ 文化の芳香と獅子の咆哮を残して

 リノアスもまた、新しい八尾の文化を築いていくのだろう。人々の思い出と共に。

14、6月某日 見知らぬ友だち

 天気のいい日は、しばしば大阪城の石垣を見ながら朝食を食べている。先日、散歩の方から「お友だちと朝ごはんやね」と声をかけられた。

 隣を見ると、ちょこんと鳩が座っている。仕方なくパンをちぎってやるのだが、そうすると鳩が増え、スズメが来て、カラスまでやって来る。すぐに10羽を超え、昼食に温存するはずのロールパンがなくなる。

 近所の公園などは鳩に餌をやるのを禁止している所も多いが、大阪城公園ではそうした貼り紙を見たことがない。鳩の一群を率いて豪快に餌をまく人もいる。

 梅雨が本格化したら、朝の小さな楽しみがなくなるだろう。そして梅雨が明ける頃には、大阪城付近での仕事が終わる。見知らぬ友だちともお別れである。

13、5月某日 私の好きな大阪

 国語教室と小説の執筆で生活ができるようになる。それが50代の私の目標だ。しかし、現状ではとても無理で、昼間の仕事をいろいろやりながら国語教室も小説も細々と続けている昨今である。

 その昼間の仕事は、市役所の事務、工場の派遣社員、学童の指導員など様々だ。しかし、体調を崩したり短期の仕事だったりして、いずれもあまりうまくいかなかった。だからといって、働かないわけにはいかない。

 5月から、新たな職種の短期の仕事を始めた。場所が大阪城の近くなので、雨が降っていなければ朝夕に公園を散歩している。仕事の合間に散歩というより、散歩の間に仕事をしているようなものだ。私の好きな大阪、第一位はダントツで大阪城公園。

 二位は万博公園にある国立民族学博物館。暗い空間の中に置かれていたアフリカの母子像、各国の木製の椅子を集めて実際に座ることができたコーナー、モンゴル展のテントや飲料など、いまだに忘れられない。わくわくする場所だった。

 三位はやはり食べ物を入れておきたい。551の豚まんと、甘党のまえだのかき氷。私にとって10月から6月までが豚まんのシーズンで、7月から9月がかき氷だ。とりわけなんばウォークのまえだは、夏の私を再生させる場所として欠かせない。かき氷はミルク金時。

 今回の緊急事態宣言は、再延長が取り沙汰されている。日々、感染防止に努めながらも、なんばウォークの復活を願わずにはいられない。

12、4月某日 凝り固まった首と心

 なるべく早く解決しなければならない問題があり、数日来そのことに執われていた。普段なら苦笑して受け流せる程度の、友人からの不愉快なメールに腹が立ち、着信拒否を宣言するところまでいった。我ながら大人げない。

 その翌日、首の後ろ側が痛くてなかなか眠れなかった。いつの間にか首の辺りの筋肉がすっかり固まっていて、前後にはゆっくり動かせるが、左右は無理だった。

 初めての経験で、いろいろネットで調べてみると、脳が出血しているかも、という情報まで出ていて、ますます眠れなくなった。

 夜中にうろたえていても始まらない。正座、瞑目して落ち着いて考えることにした。薬局でシップを買うこと、物事に執われて凝り固まった心の有り様が首に出たと考えられること、長年、特に身体に問題なく過ごせていたこと、などさまざまな思いと反省と感謝がわいてきた。

 とりあえず、朝になったら友人に謝罪の連絡をして、薬局に行くことにする。それからは、どうにか眠れた。

 友人に謝罪して着信拒否を解除し、薬局に行った。筋肉痛のコーナーでどれを買うか迷っていると、店員が症状を聞きに来てくれた。おすすめのシップを買う。本当に貼るだけで治るのかな、と半信半疑で店を出た。

 シップを貼ってから約19時間が経過した今、この拙文を書いているのだが、驚くほど痛みがとれて楽になった。一時は脳出血まで疑われた(勝手にそう思っただけだが)のに、嘘のようだ。

 物事に執われ、凝り固まって過ごしても、気楽に過ごしていても、1日は1日。解決しなければならない問題には最善の努力をして取り組み、心は常にゆとりを持っていたい、と思った。 

11、4月某日 ポアロのこと

 この歳になって、アガサ・クリスティーにはまっている。学生時代に読んだ時には、ポアロの自己陶酔的な、他人を見下す言い回しに腹が立ち、一冊目の途中で投げ出してしまった。以来、私はクリスティーという偉大な作家をすっかり忘れたまま、日本の推理小説を読んでいた。

 ある日、珍しく図書館が混んでいて、人を避けているうちに英米の文庫本コーナーにたどり着いた。赤い背表紙がたくさん並んでいる。無意識のうちに、私はクリスティーの作品を手にしていた。

 学生時代に嫌悪したポアロの良さが、しみじみと伝わってきた。心のゆとりと優しさ、信念と粘り強さ。それらが一人の男の中に同居している。真実を求めるポアロの知恵と勇気に驚かされた。クリスティーの凄まじさに圧倒された。

 かつての私は、表面的な部分しか見ていなかったのだ。ポアロの本質は、今日のコロナ禍の社会でこそ輝く個性ではないだろうか。吹き荒れる嵐の中で、彼は何とか最善を尽くして真実の火を灯そうとする。
 ポアロそしてクリスティーに、今この時に再び出会えて良かった。もし、私が10年後にコロナ禍を振り返ることが出来たなら、書物との大切な出会いも、きっと思い出せるだろう。

⑩4月某日 節約に思う

 所用のため大阪市内を訪れた。節約しよう、と帰りは歩くことにした。八尾市内の自宅までは無理だろうが、とりあえず行ける所まで。

 早々と布施で腹が減り、あとは電車にしよう、と思った。その時、前方に老夫婦らしき2人連れの姿が見えた。男性が歩道に上がろうとして、段差につまづき、転んでしまった。

 一瞬の出来事だった。ゆっくりと尻もちをついたので、頭も腰も打っていないようだが、起き上がれない。そんな状況でも、私は男性がマスクをしていたかどうかが、気になってしまう。
 ためらいながら駆け寄ろうとすると、昼休みの休憩らしい40代ぐらいの男性2人組が現れ、転んだ連れ合いを責める女性を笑顔でなだめながら、ゆっくりと体を起こし始めた。
 私は結局、立ち上がる時に踏ん張れるように杖を支えただけで、あまり役に立てなかった。高架の壁に手をついて、体を支えて歩くほうがいいですよ。そんなアドバイスを残して、2人は心配そうに去っていった。遅いランチに行くのだろう。私の中ではヒーローのおじさんたちだ。私よりも若いが。
 老夫婦が歩き始めないので、しばらく様子を見守っていると、自転車で通りかかった女性が声をかけた。大丈夫ですか、と言ったのだろう。

 この日、ささやかな節約をした私は、良い経験をしたと思った。人は余裕がなくなると節約せざるを得ない。しかし、他人を思いやる心まで節約する必要はないのだ。
 それどころか、どんどん浪費すれば、心はやがて大富豪になれるかもしれない。見えない一万円札に惜しみなく火をつけて、暗闇の世を照らす心の成金。何となく憧れてしまう。

⑨4月某日 地域遺産の桜公園

 友人と、名残りの桜見物をした。山麓の駅まで電車に乗り、歩くのはほぼ下りと平地のみのコース。4月にしては気温が高く、友人はマスクを外した。私はずっとつけたままで歩く。

 すると、やがて友人は虫に悩まされ、私のほうにはほとんど寄って来ないという、意外な出来事が発生した。虫は二酸化炭素に反応しているのではないか、と思った。

 そのことを伝えずに、私は友人を虫よけにしたままで歩いてしまった。無事に下り終えて、友人はソフトクリームをおごってくれた。申し訳ないことである。

 行程の最後に、小さな公園でのんびりと桜を見た。その場所に住んでいた、故人の遺志で作られた公園である。

 木馬で遊ぶ幼な子と、年季の入った盤で将棋をさす老人たち。その間に桜が咲いている。写真に撮りたい光景だったが、プライバシーの問題がありそうでやめた。

 憩いの空間は、立派な地域遺産となっている。私には、今のところ何も遺せそうにない、と思ったら急に腹痛に襲われた。

⑧3月某日 桜に思う一年

 今年の桜は早咲きですね、と友人にLINEで送ったものの、ろくに桜の様子を見ていないことに気づいた。

 3分咲きぐらいかな、と思っていたが、すでに満開。なんだか申し訳ないような気がして、せめて写真に撮ることにした。

 昨春はコロナの不安からか、やたら散歩ばかりしていた。咲き始めた桜、満開の桜、散りゆく桜にどれほど慰められたか分からない。

 一年経った今も、そうした不安を乗り越えるには到底至らない。人一倍臆病な私は、街でマスクをしていない人を見かけると、とっさに距離をとる。だから、外出すると疲れてしまうのだが、散歩に行かずにはいられない。

 今春は、うつむいて歩いていたのだろう。道ゆく人々のマスクの有無に気を取られながら。

 桜を見て、写真を撮って、少し気持ちが和らいだ。

⑦3月某日 鳩の家賃

 ベランダに鳩が住みついている。昼間はどこかに出掛けていて、夜になると律儀に帰ってくる。多い日は七、八羽。私が近づくと逃げていくが、一羽だけ逃げない。
 そいつがきっとベランダの主だ、と思い、少しは家賃を払え、と交渉してみた。鳩は首をかしげていた。なんのことやら分かりませんなあ、という感じだ。
 しかし、それから数日後、玄関のドアの外に小枝が置かれるようになった。放っておくと本数はどんどん増え、掃除が必要なほどになった。
 ある日、外出しようとして鳩と鉢合わせした。ベランダにいるはずなのに、反対側の玄関の外にいた。
 チラッと目が合った。くわえていた小枝を落として、鳩は慌てて逃げていく。家賃、払いましたで。へへへ。そんな感じだ。

○日々の発見①〜⑥は、以下、番号の若い順に掲載しています。

①2021年2月某日 さらば丑三焼

「丑三(うしみつ)焼」と、ずっと思っていた。成城石井のカステラである。
 夜中に職人が「カステラ〜」「テラテラ〜」などと謎の呪文を唱えながら、秘伝の技で作る。そんな感じがして何やら恐ろしく、買ったことがなかった。店で見かけても、近づかないようにしていた。ちょっと高いし。
 しかし、今年は丑年。思い切って成城石井で丑三焼を買うことにした。そこで発見。丑三焼ではなく「五三焼」だ。
 私は今まで、何を恐れていたのだろう。五三焼は、とてもおいしかった。一切れ百円ぐらいで売っている長崎カステラと、いい勝負だ。嬉しい誤算である。
 私と同じ勘違いをしていた人は、きっと日本のどこかにいると思う。いい友達になれるかもしれない。

②2月某日 一つだけのカバン

 国語教室用の名刺を作った。今はネットでも注文できる。
 名刺の作成を依頼すると、教室名の入ったカバンやシール、Tシャツなども作ってもらえる。もちろん別途に料金が必要だが、いろんなサービスがあって面白い。
 国語教室のカバンを持ってTシャツを着て買い物に行くと、少しは宣伝になるかもしれない。Tシャツは恥ずかしいので、カバンだけ注文した。
 数日後、名刺と一緒に届いたカバンは、ちょうど買い物用に良さそうなサイズだった。

③2月某日 満開の梅

 梅が咲き始めると落ち着かない。毎年欠かさず大阪城公園の梅林に行く。1回目はまだほとんど咲いていない。人影もまばらだ。
 そして2回目の訪問では、花は8割がた散っている。わざわざ満開を避けての観梅が、私の恒例行事だった。一人で行くと、知らず知らずのうちに華やかさを避けたくなるのかもしれない。

 しかし、今年は満開の大阪城公園の梅林に2度も訪れた。不要不急の外出は避けねばならないが、緊急事態宣言の解除を、梅は待ってくれない。私一人なら、散ってしまった後の梅林で残り香を偲ぶのもいい。だが、ほかの人と一緒なら満開の頃を選ぶ。
 梅の木に止まるメジロは、写真で見るとポケモンのようで面白い。私はウグイスだと思っていたが、一緒に行った先輩に、メジロだと教わった。

④3月某日 思い切りの後に

 当教室に通っている生徒が、学年末テストの国語で自己最高点を大幅に更新した。驚いて、思わず仏壇に供えてあったカステラと羊羹をお土産にあげた。
 今時の中学生がカステラと羊羹で喜ぶかは疑問だが、他に何もなかったので仕方ない。カップ麺をあげるわけにもいかない。
 試験2日前に国語の対策をした時点では、今回のテストは厳しいと思っていた。だから正直なところ、必ずしも私の試験対策がうまくいったわけではないだろう。
 そうした場合、たいていは予想通りの、あるいは予想を下回る点数になることが多い。今回のような結果は、長年の講師生活で稀だ。
 いったい、何が良かったのか。本人に尋ねてみると、時間をかけて思い切り勉強した、とのことだった。
 私は再び驚かされた。それは、定期テストの勉強で大切なことの一つであり、何度もそう伝えてきた。しかし、実践するのはなかなか難しい。
 今回は、目標の点数を取ることによって希望がかなうという、本人なりの打算もあったようだ。しかし、やるべきことをしっかりやれば結果がついてくる、という経験が出来たのは大きい。

 実力アップに向けて教材を充実させるために、中高生向けの新聞を取ることにした。今後はその記事も用いて宿題を出す予定。
「宿題忘れたら、新聞代の請求書を渡すで」
 少しきつめの冗談を交えて、生徒には伝えておいた。

 それにしても、自分で教室を始めてみると、新たな気づきがあって面白い。
 昨年末から2月初めまで、わずか1ヶ月ちょっとの間に、入試に向けて苦手な作文を13回も練習する生徒がいた。私はそれを添削しながら励まされているようで、自分も小説を書こう、と思った。
 そうして仕上がったのは30枚程度の短編だったが、私には大切な作品である。
 また、今回の「思い切り勉強した」生徒の日々は、私自身が思い切り取り組んだ1ヶ月間と重なっている。
 私の取り組みは、1ヶ月の間に何回、大阪市内にあるお寺にお参り出来るかという、少し風変わりなものだった。電車に乗る必要があり、緊急事態宣言が出されていたが、自分にとって何よりも必要な取り組みだと感じられた。
 その結果、15回という自己ベストを記録することが出来た。だからどうなの、と言われればそれまでだが、新しい月を迎えた今、不思議な充実感と安心感、そして未来への希望がある。
 厳しい現状に変わりはないにもかかわらず。




⑤3月某日 月ヶ瀬の梅、逆境の鷹

 先輩の車に乗せていただき、一緒に月ヶ瀬へ。電車では行きにくい場所で、初めての訪問。そこら中に梅の木がある。梅渓では、梅の木の向こうが深い谷になっている様子に驚嘆した。
 これまでにさまざまな梅林を訪ねて、どこも美しいと感じたが、月ヶ瀬はスケールが違う。梅の花を観るというよりも、梅のある壮大な風景に打ちのめされる。
 梅の復讐かもしれない、と思った。これまでの私は常に安全な場所で、春先の梅を漫然と眺めていた。そして時にはメジロを見つけて喜ぶという他愛もない観梅だった。
 月ヶ瀬は、飼い慣らされた観賞用の梅と、峻厳な自然の中に身を寄せ合って群生する梅とが、互いにテリトリーを分け合いながら生息している。
 谷を背負った梅を観た直後、庭園の梅はいかにも人工的に見える。造花やな、と先輩が呟いた。
 崖っぷちで凛として生きる梅と、手入れされた行儀の良い梅。谷と梅との間を滑空する鷹と、ちょこちょこ枝を渡るメジロ。
 月ヶ瀬は、人間の二面性を見るようで面白い。ほどほどに装った日常に満たされながらも、人は谷をわたる鷹を心に秘めている。
 逆境になればなるほど、その鷹は自らの可能性を求めて羽ばたく。だが、うまく風をつかみ、悠然と空を舞うことのできる鷹は少ない。
 だから人は、行儀の良い梅を観て居場所を再確認し、安心するのだろう。鷹の勇姿に憧れを抱きながら。

⑥3月某日 週刊新聞のすすめ

 中高生向けの新聞を取り始めた。毎週金曜日の早朝に届く。月に850円(税込み)で、一般紙に比べて割高だが24ページあり、内容が充実している。特集と読み物が多く、新聞を夕刊だけ取りたい、と思っていた私にはちょうどいい。

 高い。毎日来るから読み切れなくてムダ。後始末が大変だ。そうした理由からか、新聞を取らない家庭が増えている。

 私の父は、私が小学校に上がる前から新聞の読み聞かせをしてくれた。おかげで三年生ぐらいまでの漢字は、学校で習わなくてもほとんど知っていた。一方、国語の学習が退屈で授業態度が悪くなり、低学年の私は問題児だった。担任の先生と示し合わせて、親が抜き打ちで参観に来たほどだ。

 私の場合は成功例なのかどうか疑問だが、新聞の教育力は無視できない。週刊の中高生新聞は、新聞を取っていない家庭が、新たに新聞から学ぶ良いきっかけになるだろう。

 安い。週刊だから1週間でゆっくり読める。後始末も簡単。子どもも大人も読める。そうした理由から、この新聞を取る家庭がもっと増えてもいいと思う。

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